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法学部

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1: 2003/12/11(Thu) 18:03
大学に行きたい。猛烈に行きたい。二部でも、通信制でもなんでもいいから、とにかく学士になりたい。というわけで現在準備しているところであるが、専攻について、法学部が候補として急上昇してきた。今までは文学部しか眼中になかった。しかし、最近わたしの意外な資質が、ただのおとなしく根気強い好人物ではなく、もっと積極的な頼もしい資質があることが分かってきたのである。私は金儲けに興味がない。それは文学部にいこうとしていたときから今も変わらない。もちろん金があれば車を買ったり家を建てたり海外旅行をしたりするだろう。しかしわたしはそのような快楽が底なしであって、自分がそういうものにおぼれてしまいやすい弱い人間であることを思い知った。そして、世の中というのは金儲けすることが義務付けられているわけではないのであえる。世の中とは、金儲けの競争をする場ではないのである。そんなことが、今頃になってようやく、実感できるようになったのである。
2: 2003/12/11(Thu) 18:05
生きるために食わねばならぬ、そのために仕事をせねばならぬ、上司に客にペコペコして我慢して苦労して耐えねばならぬ・・・私はそんな人生は悲しい人生だと思いながらも、そうするしかないのだとあきらめて生きてきた。ところがそんな生き方にはどうしても耐えられなかった。私はみずから好んで破滅していった。しかし、どうしても私は自分を滅ぼすことができなかった。
3: 2003/12/11(Thu) 18:07
憲法。そしてインターネットの普及による著作権やプライバシーなどの新しい解釈。こういった事が今後問題になってくる。法学部へいく。弁護士になろうというわけではないが、なるかもしれない。
4: 2003/12/16(Tue) 13:06
通信制を選ぶことにほぼきまりかけていたが、ここにきて2部という選択が急浮上し、さらに、1年受験勉強をして来年受験しようという気までおきてきた。まず、この年になっている時点で、もう1年・2年をケチる立場ではない。次に学費の問題である。文系でも私立では年120万円くらいかかる。月10万円である。そんな金を捻出できる余裕があったら大学へなどいかない。通信だと初年度12万円、そのご8万/年と、破格の安さであるが、どうやら卒業難易度は計り知れないらしい。・・・しかし安いな。その中間の選択肢としてあるのが、2部である。日大法学部の場合、初年度納入費は、昼が101万、夜が66万。授業料は昼が58万、夜が40万。大学によってもそれほど差はないと思う。
そして通信の場合、初年度13万、年額10万。慶応なら年額8万くらいだ。
専修大学法学部
昼・・・初年度113.4万、授業料64.9万。
夜・・・初年度63.1万、授業料38.9万。
国立大学
授業料52万、入学金30万。
5: 2003/12/16(Tue) 13:09
社会人だから仕事をして学費を稼ぎつつ勉強する必要があり、そのための2部なのだが、実際は正社員として仕事をしつつ夜間大学へ通うのは無理だ。6時に授業が開始するなら、かならず定時に退社できねばならない。そんなの無理。時間どおりにキチンとあがれるアルバイトしかない。それなら、昼間制の大学へ行って、夜バイトをしたほうがよい。名のある大学ならば賃金のいい家庭教師や塾講師のバイトもできる。大学は時期によって長い休みがある。夏休みなど2ヶ月くらいある。その間はフルに働けばよい。
6: 2003/12/16(Tue) 14:44
明治、都立大、青山?など、二部の募集をやめるところが増えている。おそらく二部は苦学生ではなく、昼間制に入れなかったものがしかたなく来るところになっているだろうことは想像できる。
7: 2003/12/17(Wed) 11:54
・・・と、ダメもとで早大政経や慶応経済を受けてみて、ダメだったら一年浪人して来年東大・一橋にチャレンジしてみようかとも思った。だが、私には詳しくは語れないが経済的な事情がある。1年に100万円以上かかるような私大などに通うことは許されない。国立にはいるとしても、来年1年浪人することは必至である。通信なら、1年10万ちょい、月額1万円である。携帯電話、インターネット、ケーブルTV、雑誌、酒、PCのソフト、CD、その他、節約すればすぐに浮くだろう。
8: 2003/12/17(Wed) 11:59
とりあえず通信に入学してしまう。そして、大学を第一と考えて、スクーリングなどに差し支えないような仕事を探し、最短で4年後、正式な社会人となる。ほとんどの人は仕事を第一とし、キャリアアップとか自己啓発のつもりで入学するのだろう。あるいは、いろんな事情で大学にいけなかった人が、無試験・低学費で入学できると言うので軽い気持ちで入っている。卒業率の低さは試験やレポートが困難であることと同じくらい、入学の敷居の低さによる入学者の多さが原因であろう。まあとにかく、私は死んだ人間である。失った命である。まっとうな道は残されていない。困難な道を歩むしかない。
9: 2003/12/17(Wed) 12:07
わたしが大学生になったら楽しみにしていることは語学である。
フランス語は絶対にやる。できればドイツ語も。慶応は両方必須らしいからちょうどよい。
あーまた文学部に行きたくなってきた・・・。
10: 2003/12/17(Wed) 12:12
法学部の志願理由としては、情報通信業界にいて、インターネットをはじめとする新しいメディアの登場によって、出版や発言の自由度が広がり、既存の著作権やプライバシーの考えをそのまま適用することが難しくなっており、見直しが必要になっていると感じた。
・・・くらいかな。
11: 2003/12/19(Fri) 02:45
小室直樹の痛快!憲法学
この本は私が法学部へ入学する前の自分に課した必読図書である。小室直樹氏の著作は、社会人になりたての頃、図書館で借りて読んで痛快だったので、その名前はよく覚えている。この痛快!シリーズは、坂村健のコンピュータ学が非常におもしろくて、両親にもすすめたくらいだ。絵や写真がドでかくて、体裁もユニークで、おもしろいシリーズである。そして憲法、小室直樹ときた。ぱらぱらめくると日本国憲法はすでに死んでいる、とケンシロウに言わせている。これはおもしろそうだな、と買ったのは確か失業手当を貰っていた頃だからもう半年くらいたつか・・・読まずに置いてあった。
12: 2003/12/19(Fri) 02:49
法学部に行こうかな・・・と思い始めたとき、そういえばあの本読まなきゃ、と思ったのだが・・・。さて、なんで法学部へ行こうと思ったのだろう。べつに有名な学者の本を読んだわけでもない。ただ、間違いないのは今やっているアルバイトが影響していることだ。それは喋る仕事である。わたしがもっとも苦手だと思い込んでいた、電話で人と喋る仕事だ。しかしこれが、ひょっとしたら天職ではないかというくらい、おもしろく、なかなかうまくやれているのだ。最初はたしかに緊張したししどろもどろになって、絶対できない、今すぐに辞めて帰ろうかとさえ思った。しかしすぐになれ、システム開発などの時には得られなかったやりがい、感動といってもよいものを得られるのだ。
13: 2003/12/19(Fri) 02:51
私の学歴は屈折している。高校で理系コースを選択しながら文系に転向して、浪人して外語大へ入ったが、理系への未練と大学で学ぶことの意義の無さなどからほとんど通わず中退して就職する。以後、学歴コンプレックス、理系コンプレックスがなくなることはなく、ついに35歳にして大学入学を決意することになった。
14: 2003/12/19(Fri) 02:57
情報通信関連の仕事をずっとしていたので、大学にいくならその関連、情報科学とか数学とかしかない、経済学部など行ってもしょうがない、医学部を本気で考えたこともあったが、法学部など候補にもあがっていなかった。
結局今は、理系コンプレックスが消えた。それどころか、私は最初から人文系の学問を学ぶべきだったのだと後悔しているくらいである。現在日本での文系の肩身はせまい。文系はラクで、アタマを使わない学問だと思われている。実際今はそうなってしまっているかもしれないが、もちろんそんなことはない。
私は理系離れを憂うよりも、歴史や文学が「科学的」になってしまうことの方を憂えている。

15: 2003/12/19(Fri) 03:01
理系コンプレックスの消失は、自分がシステム開発の仕事から離れるにしたがって進んできた。システム開発者つまりプログラマこそ、もっともカッコイイ、創造的でもあり頭もつかうしさらに不毛な事務作業を機械にやらせる社会への貢献度も高い仕事であるという考えがあった。
実際そうなのかもしれないが、少なくとも自分がしてきた仕事はそれとは程遠く、コンピュータやそのソフトウェアはさらなる不毛な仕事を生むカネ食い虫でしかなかった。そしてわたしは、開発者の仕事から次第にそれが生み出したあらたな不毛な仕事を担当するようになった。この業界の中心からどんどん外側へ押し出されていき、たどりついたところはエンドユーザのサポート窓口という、門番のような、最果ての地であった。
16: 2003/12/19(Fri) 03:04
ここへ来たらもうそう考えざるを得なくなった、というのが本当のところかもしれないが、とにかく、私は自分がもうエンジニアではなくなったこと、エンジニアになど戻れないし、戻るつもりもないことを自覚した。あの高校生のときに「文転」した時のような気持ちだ。
17: 2003/12/19(Fri) 03:07
高校生の時は、哲学しかなかった。文学=小説であって、それを本気で学ぼうとは思えなかった。経済・法については、歴史にまったくといっていいほど興味がなかったせいもあって、始めから眼中になかった。それが今は法学部でほぼ固まっている。一体何があったのだろう?最近TVで法律相談番組がたくさんある。また、テレビドラマなどの影響で、行政書士や弁護士を志望する人が増えているらしい。来年度からは法科大学院というものも始まり、今まで司法試験しかなかった弁護士への道に新しい選択肢が増えた。
18: 2003/12/19(Fri) 03:17
本題に入ろう。
小室氏はもともと科学者である。そのため切り口が斬新で論理的なので、おもしろい。ほとんど全面的に受け入れてしまいたくなる。しかしやはり、これは科学者の考えである。彼はキリスト教が民主主義と資本主義を生んだと言っていて、安易に宗教を批判しないところは殊勝なのだが、どうしても神観から歴史観から、客観的すぎる。パウロが12弟子の一人だとか、創世記は退屈だとかいうのは、私でも気づく穴である。彼と私などは比すべくもないが、私は学者になる気は毛頭ない。ガッコの先生ならなりたいとも思うが。
なんにしてもおもしろい本であった。大変に啓蒙してもらったことだけは間違いない。
ヒトラーの独裁を生んだのは平和主義である、なんていうところは特に。
今では、只今では、日本国憲法と自衛隊が矛盾しているとは全く考えなくなった。三島由紀夫はその辺は見誤っていたとわかった。彼は根っからの芸術家だったのになまじ法学部を出てしまったばかりに政治の世界に邪魔されてしまった。
日本国憲法は表面上は戦争放棄しているが、この戦争というのは侵略戦争のことだ。自衛が許されると言う時点で、それは軍隊を捨てることは意味しない。自衛のための先制攻撃だってありうる。ミサイルが被弾するまで攻撃しないことが自衛だというやつは、子供の頃にケンカしたときのことを思い出せ。
19: 2003/12/20(Sat) 00:16
さて・・・なんで法学部にしたのか・・・本気で分からなくなってきた。通信制大学が困難な道である事はいやと言うほど見聞きした。まあ、すべてインターネットの掲示板と個人のホームページでの情報だが。それらを読んでいると、本当に自分のやりたい事、得意な事でないと卒業できないのではないかという不安が芽生えてくる。哲学科なら私はあるていどの知識があると思う。聖書を読んでいるし、何冊かの哲学書を教養としてでなく感動を持って読んだ経験もある。しかし、私は哲学は無神論を目指すもので無力であるという確信に近い考えを持っている。おそらく哲学に関する論文を書いたならそういう論調になることは免れないだろう。
20: 2003/12/20(Sat) 00:21
法律について勉強してみたい、といったちょっと覗いてみるといった姿勢では難しそうに思える・・・。しかし、ちょっと落ち着いて考えてみよう。大学とはほとんどが高校を卒業した20にもならない少年少女が学ぶ場である。東大や慶応などは優秀な学生が集まるのかもしれないが、所詮は英語数学日本史世界史といった高校の授業でやるような事しか学んでいない若者である。私はもう十数年社会経験を積み、問題を解決し、問題を発見し、改善策を考え、実施し、説明を聞き、説明をして、交渉ごとも多少はやってきたわけである。学問がそれらの経験ではまったく及ばない高尚な、難解なことであろうか?学問とは難解なものでなければならないのか?
21: 2003/12/22(Mon) 17:33
ただし、法とは何か、がわかってきたよ。
まず、憲法は国家を縛るものである、ということ。法律の親分みたいに考えていたのは誤りだったということ。憲法は国の命令ではなく、むしろその逆。
22: 2003/12/22(Mon) 17:35
中学校の授業で、大日本帝国憲法は欽定憲法で日本国憲法は民主憲法であるとならった。帝国憲法は、天皇の決めたもの=国の命令、と受け取っていた。まあ、普通は天皇=国なんだが、厳密には違う。天皇が定めようが国民が定めようが、外国が定めようが、憲法が国を縛るものであることにはかわりない。
23: 2003/12/22(Mon) 17:42
それから、刑法。殺人や盗みなどについて、それを禁じるのが刑法ではない。「殺人を犯すと何年以下の懲役にする」といったことしか書かれていない。他の犯罪も同様である。「殺すなかれ」とは書いていないのである。

24: 2003/12/22(Mon) 17:44
日本では「無罪」というが、無罪というと「何も悪いことをしていないことが証明された」という印象を受けるがそうではなく、「有罪であることが証明できない」と言う意味である。英語ではnot guiltyである。罪がないということならinnocentとなるが、そうではない。これは確かOJシンプソンの事件の時に、新聞か雑誌で読んだことである。
25: 2003/12/22(Mon) 17:49
これは一見、悪者が得をするように感じられるかもしれない。しかし、法は宗教や道徳とは区別されるものである、という考えからこのようなことになる。これは思想ではなく、こうせざるを得ない、というところだ。もし法で「殺すなかれ」と定めるとしたら、その法の制定者が絶大な権力を持つことになる。いや、権力が大きいとかの問題ではない。そんなことを決められる人は一体何者?という話になる。十誡は神がイスラエル民族にあたえた戒めである。刑法・民法はそうではない。国民がつくった法律である。「たかが人間」「ちっぽけなヒューマン(長渕剛「横浜ベイブリッジ」)」が人間自身のために定めたきまりである。
26: 2003/12/22(Mon) 17:52
殺人が悪である理由はどこにもない。もし、刑法に「殺人を犯してはならない」と書いてあって、それが殺人が悪であることの根拠だとしたら、その方が怖ろしいことである。十誡は神が与えた命令である。神が殺すなと言うから殺さない、それならいい。しかし、ひとりの人間が殺すな、と言うことは許されない。
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