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私生児

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1: 2003/12/18(Thu) 15:53
私は神を信じている。偽善者と言われるような温厚で無難な考えをもち、行動も普通である。しかし、わたしは時々、こんな不謹慎なことを考える。
イエスは処女降誕で誕生したと聖書に書かれている。処女降誕というのは、夫婦が結婚する前に、聖霊によってみごもったというのである。これは有名な話であるが、そんなのインチキだと思う人がほとんどで、それを信じる人は盲信している人がほとんどであろう。
私も聖書を読む前は、インチキだと、イエスを神格化するための作り話であると思っていた。しかし聖書を深く読むにつれて、聖書がそのようなおとぎ話でないことがわかってきて、イエスが聖霊によってみごもったということにも、裏があるように思えてきた。
2: 2003/12/18(Thu) 16:02
イエスは当時の聖職者であるパリサイびとを言行が一致しない偽善者であると猛烈に批判し、ユダヤ教徒の信仰のあり方も批判し、安息日も破り、ぶどう酒も飲んで、大きな物議をかもして、結局神・ユダヤ人の王を僭称するものとして死刑になったが、のちにイエスは救世主であったとする信仰が誕生してキリスト教といわれる新しい宗教がユダヤ教から分派した。
イエスの刑死は予言されていて、予定されていたことであり、イエスは十字架につくためにこの世にやってきたというのがほとんどのキリスト教信者の考えのようであるが、とはいっても、十字架について死刑になることがすばらしいことだと考えるものはいないであろう。イエスをうけいれなかったパリサイびとをはじめとするユダヤ人達は憎むべき存在に違いない。

3: 2003/12/18(Thu) 16:08
わたしはイエスは十字架につくためにやってきたとは信じない。
十字架についたことは悲劇であり、失敗であった。
ところが、ふと、こんなことを考える。

イエスは私生児だった。そのため幼時にはいじめられ、世間からは冷たい仕打ちを受けた。両親は一見敬虔なユダヤ教徒ではあったが、心の中は鬱屈としており、教義に疑問を感じてもいた。またユダヤ教自体が形式主義的となり、聖職者はその役職を特権階級としてその特権を得るために賄賂や政略結婚などが横行していた。イエスはそんななかで私生児として生まれ、それら偽善者達の格好の攻撃の的となった。そんな幼児期を過ごした人間が、まともに育つはずはない。
4: 2003/12/18(Thu) 16:16
イエスは悔しさから聖書や律法を研究しつくした。それは信仰心からではなくどろどろとした怨念と憎悪にもとづくものであった。やがて彼はユダヤ教批判を始めるが、その批判の仕方はいうなれば「ほめ殺し」であった。「天国への道をとざしている」などの批判によってパリサイびとを批判し、ユダヤ教の復興を叫んでいるように受け取られているが、実は、イエスはユダヤ教が不毛であることを、神などいないのであると言うことを、神とは人間の究極の完成の姿であるということを、示したのではないだろうか?
5: 2003/12/18(Thu) 16:19
断っておくがこれはあくまでも仮定である。
私は神が実在すると信じている。それは孤独な人間のよりどころなどといったものではなく、世界を創造した創造主として存在し、人間はそれに似せてつくられたものであると。
人間が向上心をもって生きられるように設定された架空の、理想としての、目指すべき究極の姿として人間がつくったものではない、と。
6: 2003/12/18(Thu) 16:24
しかし、処女降誕は信じられない。そして、万一私生児であったとしても、イエスが救世主であることには何の影響もないと思う。当時の人間には私生児なんて一般の人間としても許されないことだから、処女降誕という苦しい言い訳をしたのではないかと、考えるのだ。
こんなことは中学生くらいでもひねくれた奴なら思いつきそうなことではある。その前にそもそもイエスなど架空の人物だとさえ考えるものも多い。

私はイエスが神なのであると、神がこの世に人の姿をとって現れたのであると、信じたい。しかしそれはふとしたときに、少し冷静になったときに、ありえない、と思えてくる。科学的な立場からは、決して認められないことであろう。それは認める。

しかし我々は科学者ではない。科学者である前に人間である。科学は人間に奉仕するものであって、人間が奉仕するのではない。


7: 2003/12/18(Thu) 16:32
そしてイエスはユダヤ教徒と全面対決をした。イエスは「それを言っちゃあおしまいよ」的なことをいいたい放題いって、自分が神であると言わんばかりの発言・行動を繰り返した。パリサイびとたちは、自分達の批判をされたどころか、ユダヤ教の根幹まで揺るがされたのである。これは死刑にするのも無理のないところだ。
8: 2003/12/18(Thu) 16:35
・・・

しかし、奇蹟とか、その後キリスト教が誕生したという現実を考えると、彼が単なる狂人であったとは到底考えられない。しかし、正常な人間にとっては私こそ狂人である。それならば、狂人のわたしがまともだと考えていることだけをしていたら、私は死ぬまで狂人で終わる。だから私はときどき、狂人のようなことを考え、実行しているのである。
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