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読書の方法

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1: 2003/12/26(Fri) 02:34
私はテレビのお笑い番組、歌番組が好きだし、映画も好きだし、音楽とくに洋楽が好きだし、パソコンとインターネットも好きであるが、読書も嫌いではない。こんなに多様なメディアがあふれているなかに生きている人間としては、読書量は多い方であると自負している。ただ、本の虫と言うほどではない。また、私は時代小説とか推理小説といった、エンターテイメント的なものはあまり興味がない。わたしは文学を映画や音楽のように純粋に楽しめる能力はうらやましいと思うが、残念ながらその能力は私には乏しい。
2: 2003/12/26(Fri) 02:40
小説を楽しんで読む人にとっては、学術書のようなものこそ難しいと感じるかも知れないが、こちらは素直さと我慢強ささえあれば読み通せるものである。俗に言う「やわらかい」本、「硬い」本、という区別である。やわらかい本とは小説である。文芸と言ってもよいだろうか。さらに、やわらかい本も純文学と大衆文学にわけられる。ドストエフスキーとか、芥川龍之介、バルザック、ゲーテ、シェークスピアといったものは純文学、高尚な文学とされ、しばしば「難しい」と言われる。しかし、私は常に芸術に対して「難しい」という評価をすることに違和感を感じていた。
3: 2003/12/26(Fri) 02:46
文学は芸術であって高尚なものだ、と言う人もいれば、文学など婦女子の慰み物だ、と言う人もいる。おそらく、両方真実であろう。高尚な文学もあれば慰み物の文学もある。しかし、わたしが今までずっと疑問に感じてきたことは、文学が人間のあるべき姿を追求するものである、と考えている人が多いことである。

NHKだったと思うが、ある女性作家が、文学の究極は宗教である、と言っていたのを見たが、これは間違っている。絶対に同意できない。そして、このように考えている人は多い。宗教でなければ、文学の究極は哲学である、という人も多いはずだ。作家と言えば人間通であり、人間のあるべき姿を知っている人だ、という考え。これは誤りである。
4: 2003/12/26(Fri) 02:49
高尚な文学と低俗な文学があることは私も同意する。
しかし、道徳的に理想的な人間を描くことが高尚だ、という考えには反対である。
・・・話がそれた。
読書の方法だったね。
5: 2003/12/26(Fri) 02:51
学術書の場合。

段落が最小単位である。文ではない。とっつきにくい本の場合は、段落に番号を振りながら読む。これは非常に効果がある。予備校でならったテクニックである。純粋理性批判を読んだときも、番号を振った。そのうち振らなくなったが、とっかかりをつけるにはよい。
6: 2003/12/26(Fri) 02:56
「読めない」とはどういう事か。
1.知らない概念について書いている。
2.読みながら別のことを考えている。

1.は、どうしようもないだろう。予備知識の不足ということになるので、それを補う本を読むとか、辞書などで調べるしかない。ただし、これはそんなに致命的ではなく、多少のことなら無視もできる。

2.は、読者もあまり気づかないが、非常に重要なことで、読めないと言う場合は1.よりも2.であることの方が圧倒的に多い。
7: 2003/12/26(Fri) 03:00
読書は対話であるが、生きた人間との対話とはもちろん違う。
書物に書かれていることは読者がどんな意見を持とうとも不変である。それは利点でもあり欠点でもある。

私は高校生になった頃から、読書中に激しく思考が脱線して、たしかに目で文字は追っているのに、全然違うことを考えてしまうということが多くなって、読書することが苦痛になってきた。
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