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諸国民の富

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1: 2004/01/18(Sun) 02:58
福沢にはもううんざりしたが、この路線を読んでずいぶん見聞が広まった気がするので、こんどは諸国民の富を読んでみる。これは最初に勤めた会社にいた頃、あまりにヒマでやる事がないので、職場を抜け出して自転車に乗って三省堂へ行って買ってきた岩波文庫である。だが、一巻の最初のほうを読み、利潤とはなんであるかというところを読み、それは利息なんだなるほどと思って、あとはさっぱり読んでいない。これは注釈がたくさん書いてあり、ながながと注釈者の序文が書いてあって、その序文を読むだけで2時間くらいかかった。ようやく本文にさしかかったところである。
2: 2004/01/27(Tue) 00:57
諸国民の富・・・国富論とも訳される。岩波文庫で今出ているのは「国富論」で、私の持っている注釈がたくさんついているものではない。そっちの方が読み易そうなのだが、また買うこともないかと思って、とりあえず持っているのを読んでみる。ただしこれは4巻がかけている。読み始めて「つごう」とかがひらがなになっているのに耐え切れず原書を読んでやろうかと思って紀伊国屋で探してみた。あったが、当然だが、非常に分厚い。一冊にまとまっているのが880円。あとは3冊くらいに分かれているものがあった。それを手にとってみて、これは読めないなと思って結局買わなかった。
3: 2004/01/27(Tue) 01:02
国富論といえば「神の見えざる手」である。まるでそれしか書いていないのかというくらい有名な言葉で、私は国富論についてはそれ以外には何も知らないといってよい。
著者はアダム・スミスである。イギリス人である。この人は経済学者ではなく、法学の先生だったらしい。そもそも国富論が経済学の始まりといわれるくらいなのだから、経済学などというもの自体がなかったわけだ。
さて、出版されたのはいつかというと、177x年ごろだ。3回くらい改版したようである。アメリカ独立戦争がおきた頃である。スミスにとってこの戦争は、一つの国家の誕生ではなくて、イギリスとその植民地の間で起きた争乱というように書かれている。スミスだけでなく、ほとんどの人がそう思っていただろうが。
4: 2004/01/27(Tue) 01:09
なかなか読み進まない。読んでもあまり頭に残らない。先が長い事がわかっているので、熟読する気力もわかない。まだ第一巻の半ばあたりなのだが、「手」の話はでてこない。
しかし、おそらく当時としては斬新な意見であったろう市場原理の考えは、この書物の基本姿勢としてすでにあらわれている。
ただし、私は実際に読んでみて、「市場原理」という考えが積極的なものではなく、「サンタクロースなんかいないんだよ」というようなものに感じられる。読んでいて、「経済っておもしろい、自由主義ってすばらしいな!」という感動が得られるようなものではないことは間違いない。
5: 2004/01/27(Tue) 01:13
たとえば魚を買うときに安くていいものが買えるかどうかというのは、魚屋が客によかれと思って売ることを期待するのではなく、魚屋がもうかるためにどうすればよいかを考えて売ることを期待する、という記述がある。
「われわれが自分達の食事を期待するのは、肉屋や酒屋やパン屋の仁愛にではなくて、かれら自身の利益に対する彼らの顧慮に期待してのことなのである。」(第一篇第二章)

6: 2004/01/27(Tue) 01:18
原文
It is not from the benevolence of the butcher, the brewer, or the baker, that we expect our dinner, but from their regard to their own interest.
7: 2004/01/27(Tue) 01:22
10数年「仕事」をしてきて、給料を貰ってきた。直接的にしろ間接的にしろ、そのときには客に対してサービスを提供し、その代価として給料を貰った。厳密にいうと会社に労働を提供してその代価として給料を貰ったという事になるかもしれない。会社の命令だから客にサービスをしたのであり、別に客個人を喜ばせようとして働いていたわけではない。給料を貰わなければ仕事をしないし、客がカネを払わなければしないし、そもそも客がくれというものを与えているのである。
8: 2004/01/27(Tue) 01:26
しかし、我々は客に対して敬語をつかい挨拶をして気持ちよく接するように厳しく教育される。客とサービス提供者の関係は、雇い主と労働者の関係以上に「主人と奴隷的」である。客は自分に対する礼儀や笑顔が商売上のものである事を知っているし、接客する者も自分の屈辱的な立場が人間的価値が相手に劣るとか、身分が低いとかいうものではなく、あくまでも仕事上の関係であるにすぎないことを知っている。
9: 2004/01/27(Tue) 01:31
ところが現代の日本においては、客に対する卑屈なまでの奴隷的な態度は、本心からささげられる事が要求されている。これは、自分が社会に貢献しユーザに喜ばれていることから自然にあらわれる笑顔や敬語では決してない。酒場や家庭などでは仕事なんかタテマエ社会だ、と言うだろうが、実際に今の日本の企業でそのような考えで毎日仕事をしていける人は、研究職とか、工場などでごく単純な作業をするような、ごく一部の者だけだろう。
10: 2004/01/27(Tue) 01:36
スミス先生のいう事ももっともである。人は利己心から仕事をして客にモノを売り、サービスする。相手のためではなく、自分のために相手にサービスをしている。いわれてみればそうであろうが、私はやはりそれですべてを割り切ることができない。
私自身がそうである。わたしが仕事をするのは給料のためである。「仕事なんかしたくない遊んで暮らしたい」という気持ちはほとんどの人が持っているだろう。しかし、わたしは今まで生きてきて、そんな気持ちはまったくないのではなかろうかという人を何人も見てきた。というか、そういう人ばかり見てきた。
11: 2004/01/27(Tue) 01:39
ひとつの、怠惰な、消極的な考えがある。

働くのは面倒である。しかし生きていくにはメシを食って、雨風をしのいで、服も着なければならないし、税金も払う必要がある。遊ぶのにもカネがいる。カネはその辺に落ちていないし、盗んでつかまれば罰を受ける。それはいやだからおとなしく勤勉に仕事をして、稼いだぶんのカネで買えるものを食い、すめる家にすみ、我慢して生きていく、それがオトナである。
12: 2004/01/27(Tue) 01:41
これが本音だ、という人は多いだろうが、わたしはこんな考えでは絶対に生きていけないと断言する。こんな考えをしている人は殺人強盗をして生きている人間となんら変わらない。人間はこんな無気力な消極的な動機で毎日生きていけるほど単純で低級な存在ではない。
13: 2004/01/27(Tue) 01:44
自ら「食うために仕方なく働いている」と言っている人でさえ、絶対にそんなことはない。そんな動機で毎日朝から晩まで何かに身をささげることなど、絶対にできないはずだ。人はもっと、積極的な動機を持っている。芸術家・スポーツ選手・学者などについては説明は不要であろう。そして普通の会社員、サラリーマン、アルバイトであっても同じである。食うために仕方なく、という動機では何もできない。
14: 2007/05/01(Tue) 22:54
小学生のような疑問を、社会人になったばかりの頃からずっと抱いていて、いまだに解決していない。「国富論」も、「一般理論」も、その疑問を解決してくれなかった。
15: 2007/05/01(Tue) 22:55
それは、「人が商売をして原価以上の値段でモノを売るとカネの価値がそれだけ薄まるのではないか?」という疑問である。
16: 2007/05/01(Tue) 22:59
原価と同じ対価をもらったら儲からないが、ではなぜ儲けなければならないのか?儲けることの正当性は何か?ということである。
このスレッドの最初の方に書いた、「モノを提供するために必要とした資本の利息として利潤を得る」ということだろうか?いや、実際はそうではない。ビジネスというのは、経営というのは、商売というのは、いかに原価を切り詰められるかを突き詰めるものである。そして値段は儲かるのに最適な値段をつけるのであって、資本の利息として適当かどうかなど考えるどころか、「いかに法外な利益を得るか」を目指して価格は設定される。
17: 2007/05/01(Tue) 23:01
価格を下げるのはコストダウンなどの企業努力による、というのは消費者に対してイメージがよいからそういうだけであって、実際は価格をさげることでより多く売れるから下げているにすぎない。商売にはまったく、規範は存在しない。水がひくきに流れるような盲目的な利益の追求である。それが競争を生み、競争がよりよいモノやサービスを生み社会を発展させるというのが資本主義の大義名分である。
18: 2007/05/01(Tue) 23:06
所詮、カネはニンゲンが紙に印刷しているだけのモノである。
かなり精妙ではあるが、根本は「ゴッコ」である。
実際、カネの価値は時がたつにつれて下がっていく。物価が上昇しても給料も上昇する。戦中の1円は今の1万円だとか、当時大卒初任給が3万円だったとかいう話がある。今から30年たてば大卒初任給は100万円くらいになっているかもしれない。その代わり米5kgも1万円になっているだろう。
19: 2007/05/01(Tue) 23:07
貯金しておけば老後には何万円になると期待するのは愚かである。
カネの価値は時がたてば下がっていく。そのつど稼いでいくべきである。
だから私は貯金をしないで借金をしまくったのである。まあ度をすぎてしまったけど。
20: 2007/05/01(Tue) 23:15
P2Pによるファイル交換も同様である。一瞬にして数え切れない人間がファイルを所有してしまう。ネズミ算式に所有者が広まる。それは同時に急速な価値の低下を意味する。
21: 2007/05/01(Tue) 23:17
実はわたしは今久しぶりにP2Pのファイル交換をやっているのである。Winnyではないが。かつてのように派手に落としまくることはできないが、プロバイダの制限もかからない。まあこれが広まれば制限がかかることは目に見えているが。
22: 2007/05/01(Tue) 23:20
iPodの売れっぷりのすさまじさからして、P2Pのファイル交換は廃れるどころかむしろ増えているのではないだろうか?私が学生の頃は友達同士でLPレコードを貸し借りしあってテープに録音したものである。それがインターネットで大規模におこなわれるようになったのだ。
23: 2007/05/01(Tue) 23:21
「だから別に悪くない」という人が多いが、やっぱりアウトだと思う。
P2Pソフトは違法コピーの蔓延のほかに、けしからんファイルの流通も加速する。これは人格を破壊する。P2Pは危険すぎるのだ。
24: 2007/05/01(Tue) 23:34
でも民主主義と資本主義が万能であるという前提を考え直さない限り、P2Pは蔓延し、世界中の人間がバカでスケベで凶暴になっていくだろう。
25: 2007/05/01(Tue) 23:34
俺のように。
26: 2007/05/09(Wed) 21:41
金儲けについて考えていて、1日3万円の利益が発生すれば、1年で1000万円を超える、つまり、1万円のものを1万3千円で売ればよい、とわかった。さて、それくらいの利益率というのは、一般的にどうなんだろう、高すぎるのか低すぎるのか、と調べてみた。すると、缶コーヒーの原価は26円そのうち缶が20円、吉野家の牛丼は一杯150円、などの情報があった。
27: 2007/05/09(Wed) 21:42
へーずいぶん安いんだなあと思っていると、ふと疑問を感じた。この原価に人件費は含まれているのだろうか?さらに調べていくと、「原価とはすべて人件費である」などという言葉も見つかる。たしかに、食品にしても、人の手がかからなければ天然の資源は無料である。逆に言うと、人の手がかかるから費用がかかる、つまり、原価とはすべて人件費である、ということだ。
28: 2007/05/09(Wed) 21:42
おそらく、単に「ラーメン一杯の原価」などというときには、人件費は含まれていないだろう。麺がいくら、スープがいくら、チャーシューがいくら、などと。缶コーヒーの場合もそうだ。「原価が26円のものを120円で売るなんてボロい商売だ」と考える人と、「120円で売らないと儲からないってことだ」と考える人がいる。前者は原価に人件費を含めている、もしくは人件費を考えていない。後者の人は原価は純粋な原材料の価格と考え、それにさらに人件費などの費用が加わる、と考えている。
29: 2007/05/09(Wed) 21:43
たぶん、「原価」という言葉があいまいなのだと思う。小規模、少人数の商売であれば原価=材料費でいいのだろうが、大会社になって加工を下請けにまかせるような場合には、その辺を厳密にしないといけないのだろう。
30: 2007/05/09(Wed) 21:48
こないだヤフオクでcatalystを買った。その頃けっこうたくさん出品されていた。
2900,2950,3500などが、通電確認のみで1000円くらいからスタートしていた。
sh verもないので少し不安だったが、この手のモノはまず故障などしないので、入札してみた。2950はその通電確認のみのシロモノでも、18000円前後の価格で落札されていた。3500でも1万円前後。2900シリーズは3台+FastHub2台で6000円くらい。
今見てみると、2950は結構強気の価格設定がされて出品されている。19800円とか。なかなか入札者がいない。基本的にヤフオクの価格は終盤に急上昇するものである。また、一度誰かが入札するとその直後は少し価格があがる。誰も入札していないと割高なのかなと思われるので、開始価格は低めにしておいたほうがよい。2950なら、19800円くらいなら買い手がついてもおかしくないが、まったく付かないかもしれない。いったん入札してから高値を更新されるとさらに高値をつけたくなるものである。これは人間の心理である。
31: 2007/05/19(Sat) 15:12
ダウンタウンの過去の映像を見ていると、その時の自分は何をしていたかどうだったかが思い出される。彼らはまるで景気の悪さをあざ笑うかのように売れていった。うらやましい限りだ。一方自分は泣かず飛ばずでどうにもならない状態になってしまった。
32: 2007/05/19(Sat) 15:20
ふと思ったのが、バブルというのは意外に長かった、はじけたのは言われているほど昔ではなかった、ということだ。株価の暴落は1989年。私が仕事をするようになったのは1992年。私はその頃バブルなんてものはまったく意識がなかった。景気不景気も関係ない。東証の株価がどうなろうと自分の生活にはなんにも影響はなかった。
33: 2007/05/19(Sat) 15:26
私が無知だった、不勉強だったのもあるが、実際にその頃はまだ好景気だった。
仕事が減ってきたのは1994年ごろにはすっかり仕事が減って、残業がほとんどなくなった。不景気ということを意識しだして、諸国民の富を買ったのもこの頃だったろうか。でも、それでも当時はまだバブルだった。
34: 2007/05/19(Sat) 15:27
私はバブルがはじけた後の世代だと思っていたが、どうも自分はバブル世代に入るのだということを自覚したのはつい最近である。まあ、そのような世代わけにたいした意味がないだろうが。
35: 2007/05/19(Sat) 15:33
結論から言うとはじけたのは2000年である。いわゆるITバブル崩壊のとき。
あそこまでがバブルだった。あそこまでは、そのうちよくなる、もうすぐよくなる、とみんな思っていた。バブルは異常だったけどまあそこそこにはそのうち戻るだろう、と。しかし、2000年の暴落で、もうダメかな、という意識を私は持った。というか私自身がその頃どん底にいて景気のことなど考えてなかったが。
36: 2007/06/13(Wed) 22:47
天皇制も仏教も義理人情も何もなくなってしまった日本では、非常に殺伐とした考えの人だらけになってしまい、市場原理や課税や法改正によって損得勘定に基づき不可避的に人を動かそうとしている。それらは必要であり機能もするが、あくまでも道具、手段にすぎない。理想や目的なしに道具だけを精密に高機能にしてもシステムは破綻する。
37: 2007/07/04(Wed) 22:11
なんのオークションだか忘れたが、価格を低く設定したものが高値で落札される傾向があった、という話があった。私がよく利用するヤフオクでも同様の傾向が見られる。価格が安いと入札の敷居は低くなっても落札価格とは関係ないのでは、と思うかもしれない。私もそう思っていた。しかし、あきらかに低価格での出品のほうが高値で終わる。

まず、低価格に設定すると入札者が増える。入札者の多さは商品に対する評価の基準になる。わたしも基準にしている。入札者が少ない商品は何かわけありなのでは?と敬遠しがちである。それから、オークションではいったん入札すると、高値更新されるとくやしくてさらに高値をつける傾向がある。
そんなに欲しいものでなくても、100円とか500円くらいの差で落札をあきらめるのはなんだかセコいようでいやだし、高値をつける人がいるということはそれだけの価値があるんだ、買うべきだ、という心理になる。

その結果、最初は考えていなかったような金額で落札してしまうことになる。これは自分が何度か落札した経験から感じたことだ。欲しいものであれば、数千円の差はどうでもよくなる。

あとは、出品者がどこの誰だかわからないので、低価格に設定する人は良心的だという印象を持つ。
最近はショップが増えて、オークションというよりただのネットショップみたいな出品者がいるが、
やっぱりオークションというのは不用だけど捨てるのはもったいないからおゆずりします、代金はそこそこで結構です、という取引が基本だと思う。もしくはカネに困ってもったいないけどこれあげるから3万貸して、という質屋感覚。わたしは後者が多い。

というわけで、ヤフオクに出品するときは安値から始めましょう。
いったん入札すると、その商品に愛着がわくものです。
好きな異性に告白するような、お見合いするようなものです。
手に入れたくなるものです。
38: 2007/07/20(Fri) 23:57
金儲けは悪い事である。あえてそう言わせてもらう。経済学とか経営学とかの詳しい事は知らない。しかし、金儲けを目的に事業をおこなうことは悪い事であると断言する。私は資本主義を否定している。需要と供給によって価格調節がおこること、人気のないサービスが淘汰されること、これらは別に誰かが考えたシステムではない、自然現象である。最近、その野蛮な状態こそがあるべきであり、手を加えてはいけない、という風潮がある。事業というものは、社会にとって便利なサービスを提供することが目的である。利益はそのサービスを継続するための最小限しか得てはならない。そうではなく利益そのものを目的にしている事業は、悪事である。そんなのきれいごとだ、という言うかもしれないが、たとえばトヨタ、NTT、シャープ、ソフトバンク、マイクロソフト、アップル・・・など、どの企業の事を考えても金儲けするために始めたとは到底思えない。もちろん利益を出すために努力している人もいるのだろうが、それはごく一部に過ぎない。創業者はもちろんのことそれらの一流企業を支えているのはロマンチックな熱いハートの持ち主たちなのだ、間違いない。
39: 2007/12/11(Tue) 20:03
私は市場原理にたいして疑問を持っている。一番の疑問は、需要と供給だけが価格を変えているのではない、という事である。また人は必ずしも安いものを求めないし、いいものが売れるとも限らない。価格調節が機能するには、ただ需給関係があるだけではなく、その需給関係を仲介する存在が必要である。そうしないと価格は変動しない。その仲介する存在というのが、株式市場や先物取引市場である。これは自由経済を管理するシステムである。市場原理をあたかもなんのルールもない弱肉強食の奪い合いだとする人が、経済学者の中にも多い。そしてそれが社会を豊かにする原動力だというのだ。絶対にウソである。「市場」というのは、取引にルールを定めて管理する場である。
40: 2008/01/25(Fri) 22:24
私の兄の会社の株の出来高は、2000。
妹の会社は、4200万。
単位は株ですよね?
4200万株の出来高って、すごいな。
41: 2008/02/01(Fri) 13:23
年金支給額6.6万円というのは、1ヵ月に20日、8時間ずつ働くとすると、時給412.5円となる。いくら高齢者だとしても、それくらいの仕事はできるだろう。俺は死ぬまで働くぞ。412.5円くらいならsecond lifeのcamp、FX、株のデイトレードでもなんとかなるだろう。
42: 2008/02/03(Sun) 16:48
私は昔から働いて給料がもらえる理由がよくわからない。たとえば自分で人のために何かをしたり、何かを作ったりして、その対価としてカネをもらうとしたら、1日に1万円もらうなんて相当なことをしないと、と思う。いろんなモノを中古屋などに売りに行くとものすごく安く買い叩かれる。新品同様のものでも、売る立場に立ったとたん、がくんと値が落ちる。いったいこれって、どういうことなんだろう。
43: 2008/02/11(Mon) 11:47
デイトレーダーをどこかの偉い人が批判したことがニュースになった。
わたしは以前投資が株価を安定させるということを書いた。それは実体験とちょっと読んだ日経の本から学んだことである。
こんかいの批判についても、デイトレーダーは悪くない、資本主義とはそういうものだというような、批判者を批判する意見が多かったようだ。
しかし私は、デイトレーダーは経済活動を健全に安定したものにする存在であるとしても、たとえるならハイエナのような存在だと思う。ハイエナはライオンなどが倒した獲物の残り物をあさって食べる。いや、ハイエナでもない、そのハイエナの食い散らかしたカスを分解して土に返す微生物のような存在だ。
そういう存在があるから食物連鎖も成立しているのだ。
44: 2008/02/11(Mon) 11:56
こないだジェイコム株のあやまった注文による騒動があった。
61万円で1株売るのを、1円で61万株売る、と間違ったそうだ。そのせいでまず急落した。
急落したので他の株主が狼狽して売ってさらに急落する。しかしなんの理由もなく急落しているのはおかしい、誤発注ではないかと思って買い付けた人もいたらしい。
その後、誤発注を取り消す注文が入って急騰し、結局ストップ高になった。
今回は、発行済みの株数以上の売り注文ができてしまったことが問題になったが、
もしこの注文ミスが、発行済み株数内の範囲でおさまっていたらどうなっただろうか。
45: 2008/02/11(Mon) 12:02
うわさや本質的ではない不祥事などでの感情的ともいえる基準での乱高下を、冷徹に利益だけを求めるトレーダーは是正するのである。本質的でない値動きこそが、彼らの獲物であるから。
46: 2008/02/11(Mon) 12:07
いまそうなりつつあるが、誰も彼もが簡単に株を売買できるようになって、企業のニュースリリースもテレビなどを通さずにネットで即時に知ることができるようになれば、インサイダー取引も難しくなってやってもすぐバレるようになる。
47: 2008/02/19(Tue) 21:21
システム投資というのがある。これは買ったり売ったりする条件を指定しておいて、自動的に売買するというものである。つまり寝ている間に金儲けできるシステムである。結論からいうとこんなシステムの構築は不可能である。根拠はあまりないが、そんなうまい話があるわけねえだろと思う。確かに何百万から何十億という資産を築いた人などの話をきくと、いろいろとポリシーや投資法則のようなものを基本的には持っているようだ。しかし、それをシステム化して機械任せにはしていない。それから、投資法を売る人もいる。こうやれば儲かるという方法を売るのである。競馬の予想屋みたいなものか。まず思うのがどうして儲かる方法がわかっているなら自分が儲けないで人に教えるのか、ということである。競馬でもそう。

そもそも相場というのは、絶対に儲かる方法があったら成立しないのではないか?
もしそのようなシステムが完成したら、私ならそのシステムを使用している人に
手数料を払って運用してもらう。その人も手数料を貰って運用することを商売にするのではないか。そうすると次第にそのシステムを利用する人が増えてくる。そして、もし、参加者全員がそのシステムを利用するようになったらどうなるだろう?
全員が儲かるのか?そんなことはあり得ない。ねずみ講で皆が金持ちになれないのと同様な理屈ではないか。
48: 2008/02/21(Thu) 22:18
会社は株主のものか、経営者のものか、社員の共同財産か、誰のものか・・・
お客のものである。お客のために会社は存在しているのである。
株主はお客ではない。株主は出資することによって会社に協力するのである。
だから私などは、インチキ会社に出資した株主はその会社の不祥事に加担したという意識を持て、と思う。
ライブドアの事件で株主が損害賠償を請求したとかいう話があったが、彼らはとにかく値上がりすればいい、架空計上なんか誰だってやってるさ、というノリであったに違いないのだ。自分の権利ばかり主張しないで、そんなインチキ会社であることを見抜けずに欲に目がくらんで出資したことを恥ずべきである。

なぜマザーズとかジャスダックとかいう市場があるかといえば、それだけリスクの高い、極端にいうと得たいの知れない会社の株を取引するために、1部、2部、ジャスダック、マザーズなどとわかれているのである。だから2部にあがった1部にあがったと喜ぶではないか。
49: 08/04/27(Sun) 18:31
多分ごく当たり前の話なんだろうけど、経験のない私には新鮮だった話。よくラーメン屋とかが雑誌やTVで紹介されて行列ができる、なんて話があるけど、中にはそういう取材を断る店があるという。それは、そんな軽薄な客に来てほしくないとか、自分の腕に自信があるとかいうこともあるだろうけど、下手に行列ができたりしてしまって客が増えると、仕入れを増やして店員も増やして、さらには店を広くしたりなどして、しかし取材を見た人たちが来なくなるとその投資が無駄になってしまい、かえって赤字になってしまうという事情があるそうだ。
50: 08/07/07(Mon) 22:10
どこに書くべきか迷ったが経済的な話だと思うのでここに。
先日あるイベントのチケットをオンラインで買った。
引き取りはチケットぴあもしくはファミリーマートで、ということだった。
フーン、まあセブンアンドワイみたいなもんかとよく考えずに買って、後から気づいたのだが、
どのファミリーマートでもいいのか?セブンアンドワイでは受け取る店を選んで指定するのだが、
今回はそれがなかった。

どうするのだろうとファミリーマートへ行くと、なんと店でチケットを印刷した。
店員が知らなかったり、印刷に時間がかかって待たされたりしたが、
たいしたサービスだ。俺、こういうサービス、すごくいいと思う。
51: 08/07/17(Thu) 21:30
居酒屋タクシーが問題になったが、
私はその話を聞いてうらやましかった。是非乗ってみたいと思った。
別に金品をもらえて得するからではなく、
ビールやおつまみをもらって楽しく乗車できたらいいなと思ったのだ。

そういうサービスとして、提供するのである。

わたしはたまにタクシーに乗ると、運転手にタクシーに対する不満というか、
改善要望を話す。

タクシーというのは、足ではない。ぜいたく品なのである。
新宿から上野まで、大江戸線で210円、山手線なら160円、である。
タクシーは3000円くらいかかる。10倍以上だ。

それでもタクシーに乗るときがある。
それは、時間がないからではない。楽だし、楽しいからだ。
個室で回りにうるさい奴らがいないのもいい。


タクシーは、もっと個性的なサービスを展開すべきだ。
食事ができたり、映画が見れたり、音楽が聴けたり。テレビも。

本が読めるとか、買い物できるとか。

どうせぜいたく品なんだから、付加価値をつけて、
その対価をもらうようにしたら?
52: 08/09/17(Wed) 22:13
バスに乗っていたら料金を入れる箱の近くに張り紙がしてあって、「最近不正乗車が多いが物価高の昨今困ってますのでやめてください」というようなことが書いてあった。

物価高じゃねーよ、デフレだっつーの、とココロの中で笑いながらバスを降りた。

翌朝、リーマンブラザースの破綻の影響について書かれた記事を読んでいたら、「物価高はおさまる」と書いてあって、
え、やっぱり物価高だったのか、と驚いた。

そういえば最近は原油や穀物の価格が高騰していたっけ。
バス会社のいう物価高とはガソリンの価格の高騰のことだったのだ。

しかし、現在の日本の経済状況はデフレーションであることも事実のようだ。

で、またまた知恵袋。

どうやら、現状は、インフレともデフレとも判断の難しい状況のようである。
原油や穀物の価格は上昇している一方、国内の商品、車とか家電とかかな?
は、下落しているようである。

というわけで、バス会社は「ガソリン価格高」とか書くべきだと思う。
53: 08/10/09(Thu) 20:14
ダウがダウがと騒いでいるが、正式名称は Dow Jones Industrial Average という。
Yahoo! Financeで、1930年頃からのチャートを見たら、目盛りが対数になっていた。
対数目盛りというものがあることは知ってはいたが、どういうときに使うのかがよくわからなかったが、調べてみてなんとなくわかった。
しかし、ダウ平均の変化が対数目盛りで表示されていることには、大きな意味がある。

もうひとつ、あることに気づいた。ダウはmaxで70年、NIKKEIは約30年。Y!JPだと10年。日経平均は1950年から計算されたらしいのに。
特になんでJPは10年分しか見せないんだろう?

それはともかく、株価が対数グラフで表示されていることの意味とは・・・
54: 09/01/26(Mon) 21:53
I氏のブログを読んで東洋経済を買った。
テレビと新聞がヤバい、という特集で、I氏も記事を載せているという。
パーっと走り読みしかしていないのだが、日テレのドン、氏家氏のインタビューを読んでいろいろ考えた。

そのひとつが、「自由競争」、「市場原理」というものは、ほったらかしの野放しの野蛮な状態では成立しないということだ。

それを、スタバで思いついて、そのままバスに乗り、考えたのは、
自分に染み付いているというか植えつけられたというか、根強くある、人生観である。

それは、たとえば、食事は質素であらねばならない。
人にはつつましく接し、公の場では大声を出したり走り回ったりしてはいけない。
人に何かをしてもらうことは恥であり、人に何かをしてあげるようにすべきである。

服装は華美にせず、イヤリングだの髪を染めるだのといったことはしない。
美食は避け、栄養のあるものを腹八分目ですます。

・・・

つまり、生きていくにあたって、痛いほどの罪悪感、羞恥心というものを痛烈に抱きながら生きていけ、ということである。
これは、ある意味不合理なことで、理不尽で、酔狂だとされるかもしれないが、
どうしても、私はそういう風にしか生きていけない。
55: 09/02/28(Sat) 22:26
近所にビックカメラがあるのだが、その1階に自転車が売っている。
引っ越して自転車がないので買おうと思っているのだが、高いね!!
一番安くても2万円以上する。
でも、変速機とか自動点灯のライトとかいらないんだけどな・・・
自転車なんか1万円も出さないだろ。

最近、ちょっと高級というか高性能な、競技に使うような自転車に乗るのが
エコだとかなんとかいって、車に代わって利用する人が増えているらしい。

そりゃ、車やバイクに比べたら5万とかは安いかもしれないけどさ。
チャリンコの手軽さはそんなもんじゃないぜ?
俺が今まで買ったチャリンコは、4台くらいかな。
バーハンドル、26インチ、ダイナモライト、カゴつき、変速機なし。
軽量であることが基準である。
1万円前後で買える。

ブルーレイレコーダーもそう。
同じビックカメラだ。

ダイエーにも自転車コーナーがあって、ビックカメラよりはちょっと安いけど、
それでも2万円くらいが多い。

1万円台のがあったけど、ハンドルがバーじゃないんだよな。
56: 09/03/25(Wed) 00:36
最近の不況というか恐慌というか、これもまたはじけたバブルの一つなのか。
1989年ごろのバブルの後、ITバブルがあって、今回のサブプライムローンバブル。そんな呼び方ない?
でも、「返済能力のない人に貸し付けた」という点では、
ついこないだまでCMが流れまくっていたサラ金も、どうようなバブルだったのではないだろうか。
その後過払い金返還訴訟が大量に起きて、法定利息も変わって、29.2%なんて年利はもう笑い話になった・・・。
57: 09/03/25(Wed) 00:38
そんな昨今、資本主義とか市場原理というもの自体を否定する意見があるが、
そうではないのだと、日経のコラムかなんかに書いてあった。

私は以前からあちこちで主張していえるのだが、
資本主義とか市場原理というものについては、否定というか、
それはもともと「主義」でも「原理」でもないと考えている。
58: 09/03/25(Wed) 00:41
まず、資本主義であるが、これは計画経済と対をなす概念で、自由主義とも言われる。
需要と供給が自然に良いサービスを淘汰し、不要なものは廃れていく。
これは主義ではなく、自然法則である。
市場原理も同様である。
59: 09/03/25(Wed) 00:45
そういう原理、法則があるのはわかるが、それで何もかもがうまくいきはしない。
「自由競争」というのは、ほったらかしにしていては成り立たず、
本当の自由を実現するためには厳密なルールとそれを監視する機関が必要である。

狭い意味での自由な社会では、かならず談合だの協定だのがあるし、
寡占が発生すれば原理も機能しない。

「それは市場原理の不備ではない」
というのが多くの人の意見であろうし、日経新聞にもそう書いてあった。
60: 09/03/25(Wed) 00:47
別にわれわれは完全無欠の原理が何か、という競争をしているわけではない。
そういう競争が好きな人もたくさんいるが、
われわれはまず自分がそこそこの生活ができることをまず望むだろう。
自分の生活の安楽が確保できれば、人から恨みを買わないように、
その安楽を他人にもわけあたえるべしという主張をし、
実際にわけあたえるような行動をとるかもしれない。
61: 09/03/25(Wed) 00:51
市場原理、つまり需給関係にまかせて一切の管理をおこなわない、
管理は管理をおこなわないようにすることだけの管理をする、
というのが市場原理、自由主義なのであろうが、
それは不可能である。

それは、究極の民主主義が不可能なのと同様である。
62: 09/03/25(Wed) 00:52
究極の民主主義とはアナーキズムである。個人の良心が唯一の法律である。
アナーキズムにおいてもひとつだけ法律が存在し、
それは、「何事も禁止してはならない」という法律である。
これは一見論理的に矛盾がないように見える。
多分、「論理的には矛盾がない」のだろう。
63: 09/03/25(Wed) 00:58
私が気に食わないのはそこである。
「論理的に矛盾がない」
ということに、人間は屈服しなければならないのだろうか?
「感情的になるな」「客観的になれ」「議論によってよい判断ができる」
というのは本当なのだろうか?

64: 09/03/25(Wed) 01:00
論理でも理論でも議論でもなんでもいいが、
そんなもので世の中がすべて丸く収まるなら、
人間など集団自殺してロボットや機械だけを置いておけばいいのである。
動物も植物もみんなクスリで滅ぼして、
論理だけで動く機械を据えて、
誰も否定できない完璧な論理にもとづいたハナシをさせておけばいい・・・
Thu Nov 3 23:47:25 2011
カネについて、利子について、金儲けについて、ブログに書こうと思ったら整理できていなかったのでこっちに書く。
65: Thu Nov 3 23:47:41 2011
私は金儲けができない。そして貯めることができない。大げさに言うと、カネの意味がわからない。なんの為にカネが存在しているのかがわからない。せいぜい理解できるのは、物々交換は面倒だし貯蔵も難しいからカネをシンボルのように使用する、ということくらいである。
66: Thu Nov 3 23:47:56 2011
だが、カネがカネとして機能するためには、それがモノの価値を表象する物であることを利用者が合意しなければならない。
67: Thu Nov 3 23:48:18 2011
しかし現在、カネの機能はそんな単純なものではない。一番理解できないことは、「利子」の概念である。「カネを借りたから利子を付けて返す」というのは道義的にはなんとなくわかるが、「利子」などというものを認めてしまったら本来何かのシンボルであったカネに、なんのシンボルでもないカネのためのカネが登場してカネの価値が薄まっていくように思えてならない。そして私の理解では「利子」の概念なしに「もうけ」というものは発生しない。
68: Thu Nov 3 23:48:32 2011
「値段」の概念もよくわからない。一人の漁師が一匹の魚を売っていて、3人の人間が買おうとしたときに、それぞれ100円、200円、300円で買おうとしたら300円を出すものに売るのはわかる。ただ、それにはあらかじめいくらで買うのかを買い手にきかねばならず、売り手が納得できる買値を示す者があらわれるまで買い手はまたされることになる。逆に売り手が売値を示す場合、安ければ買い手が増え、高ければ買い手が減る、というのも理屈としてはわかるが、やはりそれには買い手に値段を示さなければならない。そしてこのような単純な価格調整がおこなわれるのはインターネットオークションくらいであり、一般的な商店では買い手が値段を示しても値段は変わらない。商品の値段はそのような要因ではなく、売り手(作り手)側の都合による。パン屋であれば、パンを作る原料の小麦粉の値段があがれば値段をあげる。商品が売れないから値段をさげるとか、売れるからあげるということは、まず、ない。
69: Thu Nov 3 23:49:51 2011
原料費とか人件費とかの要因ではなく、純粋に売れるか・売れないかによって価格が変動することは、最終的に消費者が商品を購入するところでは、非常に稀である。
70: Thu Nov 3 23:52:58 2011
ただ、新聞などを見ていると、DRAMが高騰したとかいうことがニュースになっているし、肉や野菜や貴金属の取引価格が変動しているのがわかる。あとは円高とか、株価とか。しかし、それによって起こることは商品の値段の変化ではない。繰り返すが、商品の値段はそう簡単に変動するものではない。

71: Thu Nov 3 23:53:57 2011
投資についても非常に強い疑問を感じているが、そもそもカネ自体が胡散臭いので、投資について述べるのは後回しにしよう。
72: Thu Nov 3 23:56:08 2011
今、ほとんどの人が給料は銀行振り込みになっているだろう。そして企業が銀行に振り込むのも、銀行がそれを保持するのも、多くの場合「情報」でしかない。今なら、銀行が持っているコンピュータのハードディスクに記録されている数値だ。
73: Thu Nov 3 23:58:02 2011
そしてほとんどの人は、その「数値」はあくまでも「カネ」の代替物であり、ただの数値ではなく、カネと同等の価値を持つように慎重に管理し操作していて、カタチこそないが金属でできた貨幣や複雑な模様をつけた紙幣とまったく等価値であると考えているだろう。
74: Fri Nov 4 00:01:06 2011
しかしやはり、カネというものは、最初は物質として鋳造あるいは印刷しなければ発生しない。

では、一体カネを物質的に製造するという行為は一体どういう意味があるのだろうか?
それができるものは一体何者だろうか?
75: Fri Nov 4 00:04:42 2011
現在、非常に多くの人が何も製造せず何も販売せずしたがって客から一銭も受け取ることなしに仕事をして給料をもらっている。それはあくまでも間接的な仕事をしているからであり、企業としては「モノ」を製造し「カネ」を受け取っているのだ、ということなのだろうが、本当だろうか?
76: Fri Nov 4 00:09:21 2011
では、モノではない、サービス提供についてはどうだろうか?芸術とか、エンターテインメントとか、掃除とか、修理とか。漁師が魚を売って得たカネを、オペラ鑑賞に使った時、そのカネは目に見えない感動や美に対して支払われる。芸術家が対価を得るのは、ある芸をおこなうために必要な食事とか衣装とか交通費などだけではなく、物質ではない目に見えない、実体を証明することすら困難なものに対してである。
77: Fri Nov 4 00:11:48 2011
いくら美や感動が目に見えないとはいっても、それを感じる為に必要な音、映像などの物質的なものが商品となっている、というだろうか?音楽であればディスクであるとか、データであるとか。
でも、ライブの場合はそれもない。オペラ鑑賞は、録画も録音もせずに、その場限りで1,2時間で終わってしまうものである。物質的には何も残らない。そんなものに対してもカネを払う。
78: Fri Nov 4 00:15:08 2011
もし、極端なハナシ、何かの偶然だか奇跡がおきて、日本人の二人に一人くらいが天才歌手になるような状況が発生したとする。歌謡ブームが起きて、コンサートのチケットが高騰し、一人10万円くらいのチケットを買うようになったとする。自動車メーカーの社員も、漁師も、木こりも、家電メーカーの社員も、大工も、みんな給料をはたいて芸術につぎ込んだら、どうなるだろうか?
79: Fri Nov 4 00:17:09 2011
もっとハナシを極端にしよう。そして芸術にかぶれた製造業の社員が次々に歌手に転身していったらどうなるだろうか?車を作ったり家電を作ったりする人がどんどん減っていったら?すると今度は、なんでもない自動車や家電製品が希少性のために価格が高騰し、こんどは芸術家たちが高いカネを払うようになるのか?
80: Fri Nov 4 00:21:29 2011
モノが売れる売れないについてはよく話があるが、このような話はあまりされない。多分、職業などそう簡単に変えられないからであろう。

だが、今の社会では、先ほど会社員たちは間接的にしか製造していないといったように、非常に多くの人たちが、抽象的な仕事をしている。漁師が木こりになるのは大変なことであろうが、自動車メーカーのサラリーマンが食品メーカーのサラリーマンに転身するのはそれほど大変ではないだろう。

このように、現代では、貨幣がどんどん抽象的になってただの電子データになっていったように、労働者というものも抽象的になって、汎用性が生まれてきているのである。
81: Fri Nov 4 00:26:50 2011
私が非常に疑問に感じているのが、この労働者の抽象性である。
彼らはほんとうに、間接的にでも、何かに貢献しているのだろうか?本当に製品を製造したり、サービスを提供する力になっているのだろうか?

むしろ逆ではないのか?ごく少数の人が生み出しているサービスや商品に支払われる対価のおこぼれにあずかっているだけではないのか?
82: Fri Nov 4 00:30:42 2011
「給料泥棒」という言葉もあるように、おこぼれにあずかっている人間がいることはすでに理解されているが、それはあくまでも例外であって、基本的には労働者は価値提供者であり、給料はその対価として得ていると、ほとんどの人が認識している。

しかし私は、特に最近の不景気とか円高などで企業の業績が悪化したときの人々の言動や企業が解雇はせずに新規採用を控えたり、おなじ労働を人件費の安い国や小企業にアウトソースしたりする行動を見ていると、「給料泥棒」というのは例外ではなく会社員の本質なのではないかと思えてきたのだ。
83: Fri Nov 4 00:39:32 2011
なんか、自分の言っていることが教科書に出てきた「労働者の疎外」ということのような気がして確認してみたが全く逆のことであった。

サヨクの人々が言う労働者の疎外というのは、くだけた言葉で言えば「安い給料でコキ使いやがって」である。
これはもう、仕事をする人の誰もが抱える不満である。

だが、私はこの誰もが疑わない、「自分は不当に安い賃金で働かされ、社長や役員は不当に高い報酬を得ている」という考えに疑問を持ったのである。

これは実は逆で、社長は本当はもっと報酬を得てもいいくらいなのに、多くの人を採用することによって利益を大勢に分配しているのではないだろうか?

スティーブジョブズのカリスマ性が礼賛されたりするのは、そういうことではないのか?
84: Fri Nov 4 00:42:14 2011
日経新聞などを読んでいると、企業というのは、「利益を出すこと」を目指している。新製品を開発するのも、品質を向上させるのも「利益を出す」ためであって、「顧客に喜んでもらう」とか「新しい価値を創造する」などということではない。そのような胸躍るようなフレーズさえ、顧客に好感をもたせて企業イメージを良くするためであると考えているようだ。
85: Fri Nov 4 00:44:03 2011
そして利益というのは、これはとても基本的なことなのだが多分多くの会社員たちは自覚していないので改めて言うが、社員達が取る分け前のことではない。社員の受け取る給料はすでに経費として商品の価格に織り込まれている。社員に払う給与は企業の経費である。利益の分配ではない。
86: Fri Nov 4 00:49:14 2011
そして、会社員達の言う「経費」は、厳密な意味での経費ではない。
彼らは接待とか交通費で自分の財布からカネを出して使った時に「経費で落とす」という。
その出費は全額戻ってくる。

経費というのは何かというと、企業が製品を製造したりサービスを提供するために必要な金額のことである。
このことについての認識に問題はない。

しかし、重要なのは、経費といってもやはり出費であることには変わらない、ということである。
経費というのは、「税金がかからない出費」のことである。

社員がつかった接待費は会社が全額負担するが、会社が使った経費が国から還元されることはない。
単にその分が課税されないだけである。

役職のないサラリーマンは多分ほとんどこのことを理解していないと思う。
87: Wed Nov 9 03:33:24 2011
カネについて、とても初歩的なことをいまさら知ってすごく恥ずかしくなった。
でも、多分これを理解していない人は非常に多いと思う。

カネは価値を示す指標というか表象である。しかしその指標は利用者の間で信頼が必要だから、国がカネの価値を金(Goldのこと)によって裏付けた。
たとえば、Gold 1gは100ドル、とか。

これを金本位制という。歴史の教科書にも出てきた。授業ではだいたい触れられない、最後の方に。

しかし、金本位制はすでに終わっている。
では、カネの価値を裏付けているものは何か?

・・・・・何もないのである。
88: Wed Nov 9 03:41:43 2011
金本位制(銀本位制というのもある)ではないのを、「管理通貨制度」というそうだ。
「管理」と言っても意味は逆で、カネをいくら発行するかどうかは国のさじ加減ひとつでどうにでもなる、という制度である。

これは衝撃的な事実である。いわれてみれば、カネなんてものは2者間の取引である。その間で合意がとれさえすればいいのである。

・・・と、わかったような気になったのだが、やっぱり腑に落ちない。
フェラーリが2000万円であることと、私の給料が500万円(仮に)であることの間にはまったく関係がないわけではない。
89: Wed Nov 9 03:49:21 2011
そして私が知りたいのはそこである。

私はカネ使いが荒いが、服とか食事にはカネをかけない。
しかし場合によっては1万円札を100円玉のように使うこともある。

そのことを、今までは価値の違いであると思っていた。
あることに5万円支払うのは、500円のどんぶり100杯分の価値があるからであると。

しかし、そうではないのだ。

もっとわかりやすくしよう。
2000万円のフェラーリを買おうかどうか迷っているとする。
近所の店でカツどんが一杯500円だったとする。カツどんにしては安いが、ファストフード店のようなところならめずらしくない。

このとき、フェラーリ一台は牛丼40000杯分である。気の遠くなる量である。4万人が食べられる。
もしくは、一日一杯食べるとしたら100年かけても食べきれない。
90: Wed Nov 9 03:53:23 2011
では、「フェラーリ一台はカツどん4万杯の価値がある」と言えるだろうか。
まあ、深く考えなければ、そう言えるだろう。

しかし、車に興味のない人や食いしん坊の人は「2000万円もする車など買うのはバカバカしい、カツどんを4万杯食べたほうがマシだ」と考えるだろう。
つまり、モノの価値は人によって異なる。そして、あるものの売買が成立する場合は、一人の人の価値観で決まるのではない。買い手と売り手の価値観の合意というか妥協によって決まるのである。
91: Wed Nov 9 03:55:19 2011
フェラーリを2000万円で売ろうとしている人は、カツどんを4万杯たべたいわけではない。
1万円のクツを2000足欲しいわけでもない。

4万杯のカツどん、2000足分のクツに相当する価値を得たいわけではない。
92: Wed Nov 9 04:01:18 2011
自由競争による価格調整機能というのは、あるモノひとつについて考えれば納得がいく。

フェラーリ1台の値段が2000万円になったり、高すぎて売れないから1500万円になったりする。
カツどんが500円でバカ売れしていて、肉の値段があがったから600円になるとか。

では、どうしてフェラーリは2000万円でありカツどんは500円なのか。
どうしてカツ丼が2000万円で売れないのか。どうしてフェラーリは500円で買えないのか。

需要がないとか赤字になるとかの当たり前のことであるが、それは損得の話である。
私が注目しているのはその「価値」である。

先ほど言ったように、興味がない人にはフェラーリなど赤い鉄の塊である(鉄でできているのかどうかしらないが)。

普通の乗用車なら、生活するうえで便利であるからある程度の価値はあるだろうが、
時速300Kmで走る必要はない。
93: Wed Nov 9 04:05:09 2011
経済学では「需要がある」ことイコール「価値がある」とされているが、
「売れているものこそ価値のある物だ」とは限らない。

くだらないモノが売れることもある。
価値のあるものが見向きもされなかったり安く買い叩かれることがある。

そのことは皆わかっていると思うが、でも、「・・・とは限らない」という程度であり、
おおむね価値のある物が売れる、とも考えているだろう。
くだらないモノが売れることもあるがそれは一時的な現象であると。
94: Wed Nov 9 04:09:12 2011
私もそう思っていた。
それは、「金持ちが偉いわけではない」と自分を慰める根拠でもあった。

だが、カネの価値がまったく相対的であるなら、
価値もまったく相対的なものになってしまわないだろうか?

「あくまでもそれは経済的な価値であって本質的な価値というのはまた別の話だ」
というのが常識的な考えであろうが、では「経済的な価値」とは何か?

やっぱり、私はどうしても経済が、カネ儲けが、商売が、理解できないのである。

95: Wed Nov 9 04:16:39 2011
そもそも私が商売に疑問を持ったのは、不景気になったときに人々が需要もないのに仕事を探したことがきっかけである。

景気のいい時は仕事はいくらでもあって、仕事をするかどうかは自分が「メシを食いたいか」どうかだけにかかっていた。メシを食う必要も家賃を払う必要もなければ働く必要はなかったが、そうはいかないのでイヤイヤ働いていたのである。

しかし、不景気になると、いくら自分が我慢して働くこころづもりができていても、する仕事がないことがある。
働きたくても働けないのだ。「働かざるもの食うべからず」というが、働きたくても働けないのである。

怠け者の私は、不景気大歓迎であった。夜遅くまで残業したり休日出勤しなくてすむし、なんなら平日に休むことすらできる。寝坊したり夜更かししたり、家でゴロゴロしていられる。
96: Wed Nov 9 04:17:47 2011
だがそれにも程度があって、生活していけないほど仕事がなくなってしまうと困る。
そしてその恐れが出てきた。

97: Wed Nov 9 04:25:31 2011
しかし私は、生きていけないほどの不況というのは、どこかに偏りがあるからだと考えている。
「自由」というのは、政治的にも法的にも経済的にもなかなか実現しないものである。

自由であるように見えても、それは大抵、誰かが管理している限定的な自由に過ぎない。

そして、それはかつては「社会」というような漠然としたひとつの正しい世界であったのだが、
今はたくさんの世界が並立していて、どれが標準なのかがわからなくなってしまった。

今までは、勉強して仕事をしてがんばっていればその社会の一員となって生活していくことができた。
生活できないのは怠慢でしかなかった。

だが、今はそうではない。

「社会」の正当性が失われた。
「社会」は、不適合者を受け入れないのではなく、社会を成立させるために不適合者を作り出しているのだ。
98: Fri Nov 11 03:18:41 2011
「社会」というか、「会社」ね。ひっくり返しただけか。おもしろいな。
「会社」も、サービス提供が目的ではなく、会社自体の存続が目的になっている。

そしてそれは経営者や社員達のモラルの低下とか堕落とかではなくて、会社の本質なのだと思う。
そもそも会社というのは提供するサービスのためではなく、それによって利益を得ようとする人々のためのものなのである。
だから時がたち経営が難しくなると保身に走り破滅するのだ。
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