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胆嚢 胆のう 胆管

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1: 2004/02/10(Tue) 01:01
父が入院した。
食欲不振で胃の調子が悪いというので近所の小さな病院に行ったところ、胆のうが腫れていて、黄疸の症状が出ているため、大学病院で精密検査を受けるように言われて紹介状を持って行って検査を受けた。二回目の検査を受けた日、検査結果がよくなかったらしくそのまま入院という事になった。
2004年2月7日土曜日のことである。γ-GTPの数値がかなり高いということだった。たしか、200から400くらいだった。
土曜日の深夜帰ってきて、入院した事を聞いた。翌日は昼から仕事だったので月曜日に病院へ行った。
黄疸というほど顔色は悪くないように見えた。毎日見ているからわからないのかもしれないが。特に痛みもないらしく、元気に見えた。しかし今日検査した結果のγ-GTPは4000を超えていた。標準値の400倍である。その他にも異常な数値がいくつかあるようだった。胆のうから腸へ通じる管が詰まって、胆汁が逆流しているらしい。どうやらその管に、腫瘍らしきものがあるらしい。それが良性か悪性かはわからない。父は他人事のように、医師から説明された臓器の図をみせながら説明してくれた。気になったのは、そこに医師が書き込んだ文字である。胆管に丸がつけてあり、そこをさしている線の元には「腫瘍」と書いてある。そしてその脇に、良性/悪性とかいてあり、悪性のほうに丸がつけてあったのだ。
2: 2004/02/10(Tue) 01:08
今医者に命じられている事は安静にすることだ。そして絶食。飴、お茶などは許されている。のどから点滴のようなものを受けている。治療計画表とかいうものを見てみると、絶食とかいて矢印は1週間くらい伸びている。父は67歳だが、体格はがっちりしていて、太ってもやせてもいない。
気になるのは最近、去年の夏ごろからだったか、訴え続けている腰痛である。好きだったゴルフもできなくなり、あぐらをかくことができなくなって椅子を買った。そして長時間歩くと痛むという。腰痛については外科で見てもらっていたが、話を聞く限りでは原因はよくわからず、良くなる様子もない。単なる骨や神経の問題ではないように思える。
3: 2004/02/16(Mon) 18:23
ガンかもしれない。ガンがおそろしいと思ったのは逸見アナウンサーが亡くなった時だ。あの時は確か、本人が記者会見を開いてガンである事を告白したのだ。そしてそれから数ヵ月後亡くなってしまった。まったく病人のような様子ではなかったのに。自然は調和がとれていて美しいものだという事に疑いを持つ事になった。
4: 2004/02/19(Thu) 01:16
膵臓かもしれない。幸い、転移はない様子。手術することになった。
十二指腸を切除、膵臓頭も切除し、バイパスするらしい。
5: 2004/02/21(Sat) 19:36
家族全員で手術の説明を聞いた。膵頭十二指腸切除術という手術をやる。この胆嚢、膵臓の頭部(腸に近い側)、十二指腸のほぼ全部、胃の一部を摘出する、1日がかりの手術である。
腫瘍は胆管あるいは膵臓頭部にある。どちらかは検査では判明しないが、いずれにしろ膵頭部を切除する事になる。腫瘍が悪性であるかどうかは不明だが、医師の話し方からしてほぼ間違いなさそうだ。1センチ以下だとほとんど良性らしいが、大きくなるほど悪性の率が高くなるらしい。膵臓がんというのは非常に見つかりにくく、症状が出た頃には手遅れになっている事が多いので、この手術後の生存率もあまりよくないようであるが、今回は膵臓がんにしては早い方だったのではないだろうか。黄疸以外には全くといっていいほど症状がなく、2週間くらい絶食しているのに非常に元気である。ただし、今日は肌の色が明らかに黄色くなっているのがわかり、かゆみがでているのでしきりに掻いていた。
6: 2004/02/21(Sat) 23:32
γ-GTPは、2000いくつで、正常値の400倍近く、
に訂正
7: 2004/02/26(Thu) 23:03
「かなり進行してました」との医師の言葉。摘出した臓器を無造作にゴトンと置いて説明を始める。ときどき咳き込んでいる。彼を含め、手術室のスタッフがなんだか殺伐としている。呼びに来てくれた看護婦さんだけは静かに微笑んでいた。
胆嚢だけは見分けがついた。赤くて、丸くて、膨らんでいた。尻尾のようなものが付いていた。あとはよく分からない。管らしきものは見えない。十二指腸にも転移していて、膵臓、リンパ節に浸潤していたという。胆管は肝臓の方まで進行していたが、肝臓には達していなかった。ただし胆管が詰まった事で逆流した胆汁によって肝機能がかなり低下していたようで、もう少し黄疸が進んでいたら手術もできなくなるところだった。手術前はガンであるかどうかも断言していなかったがいざ開腹してみると大変な事になっていたようだ。まだ若く、おそらく私より年下の医師は疲労困憊の様子だった。朝8時から夜6時半までぶっ通しだったのだ、無理もない。
摘出した臓器は、胆嚢以外は袋状のものがよく判別できない。十二指腸に食い入っているガンや、その付近にあったリンパ節などを指差してくれた。医師は回復して患部を見たとき愕然としたのではないだろうか。
8: 2004/02/26(Thu) 23:14
手術後、1時間半くらいして父の顔をみることができた。
ナースステーション前の特別室に寝かされ、酸素マスクのようなものをつけている。目を閉じている。顔しか見えない。ベッドが少し起こされた。父が顔をゆがめている。痛いといっているのか・・・。マスクの周囲に白い気体が漏れる。髪の毛はきれいにととのえられている。顔は黄疸のせいで黄色いが、顔色が悪いという感じではない。父の目はしっかり閉じられていたが、涙があふれていて、髪は真っ白だがまつげは非常にきれいで長く黒々としていた。我が家系の特徴である。とても苦しそうだ。体は布団の下に固定されているのだろうか。何か言おうとしているがよく聞き取れない。とても苦しそうだったので、とりあえず落ち着かせようと「お疲れ様」と言った。なんだか不安そうな表情に見えたので「よかったね、無事に終わって」と言った。母が「悪いところは全部とったからね」と言っている。モゴモゴ言っているので聞き返すと少しイラっとした感じで「アリガトウ!」と大きな声で答えた。少し安心した。「手術で死ぬヤツもいるんだ」「いてえ・・・」「少し意識が残ってるんだよ・・・」「もう手術はイヤだ」などとしゃべり始めた。眼が開いてちらっと周りをみたがまぶしいのかすぐ眼を閉じてしまった。ずっと眼を閉じ、痛そうに苦しそうにしている。家族皆が少しおびえている。
9: 2004/02/26(Thu) 23:19
しかし父は弱音を吐く事がない。ふてくされたりイラ付いたりすることはあっても。しかしあんなに痛そうな辛そうな顔は見たことがない。眼にたまっていた涙は痛みのせいだったのだろうか。本当に父は今まで痛みもなにもなかったのだろうか。かなり進行していたという投げやりにも聞こえる医師の説明を聞きながら、父はずっと我慢していたのではないかと思えてくる。ここのところ、去年くらいから、2時間に一度くらい夜中に起きて便所に行っていた。私は夜中に起きていたから知っている。そして必ずと言っていいほど「クソッ」といいながら小便をしていた。ときどき、3時か4時ごろ、居間にあかりがついていて酒を飲んでいたことがあった。
10: 2004/02/26(Thu) 23:26
ガンであることは覚悟していた。しかしステージは予想より進んでいた。事前の説明では「発見は早くはなかった」ということだったが、術後の説明ではかなり進行してたけどとりあえず取った、しかしこれだけ進んでいると再発や転移の可能性はかなり高い、という事だった。
あとは、膵漏とか感染症とか、事前に説明された可能性を再説明された。希望を持てることを挙げれば、肝臓・胃・小腸・大腸などには移転がなかった。出血が少なかった。見えるものは全部取った、という説明と、麻酔から醒めた後の執刀医がご機嫌だったこと、明日の面会も普通の時間でよいということなど。
11: 2004/02/26(Thu) 23:29
そして何より、ようやく詰まっていた胆汁が流れるようになり、まずは小腸に直接栄養を流して、そして食事もできるようになる、ということだ。黄疸がなくなる。かゆくなくなる。食事ができる。それが何よりだ。とにかく今までのような毎日ではたまらないだろう。それは希望だ。今まではびくびくおびえているだけだったが、もうこうなったら後は一直線に回復へ向かうのみだ。
12: 2004/02/28(Sat) 03:31
しかし、考えてみれば、ガンなのかそうでないのか、生きるか死ぬかはどうでもいいことである。問題は生きて何をするかである。ただ食べて寝てテレビを見ているだけでは生きる意味など何もない。
私は人生を修行だとは考えない。死は天国へ旅立つことだとは考えない。死をもって、新たなステージへ昇っていくのかも知れないが、私達はその死後のステージとはまったく隔絶された世界に生きている限り、その事を考えてもどうにもならない。我々は今生きている自分の人生でしか何かをなす事はできないのである。
13: 2004/02/28(Sat) 03:37
病室に寝て、点滴を受けて、食事もとれず、検査ばかりして、TVを見たり本を読んだり読書をしたりしていた・・・。そして今は、飲む事すらできない。喋るのもやっとという状態である。生きている。それでも生きてはいる。だが、そんな生物としての「生」など何の意味もない。ガンだって生物なのである。ガンというのはただの生物である。ガンも栄養をとって成長していく。正常な組織と違うのは、ガンは自らをわきまえず周囲を破壊しながらひたすら自己の増殖をしていくところである。・・・そういうと、まるで傍若無人な私のことのようで身につまされるが、だんだん分かってきた事は、当然の事だがガンには何の意志も悪意もないのである。無目的・無感情な、ただ生きているだけの存在である。
14: 2004/02/28(Sat) 03:48
でもやっぱり、自分の成長・拡大だけを目指すような人間・組織は存在していて、周囲はそれを不快に思うだろう。しかし、それらのガン的存在は善意はもちろん、悪意をも持っていない。目的と意志自体を持っていない。そのような存在が、悪となり、調和を見出し、世界を破壊するのである。つまり、悪とは無目的である。無意志である。何も考えなくても生物は成長する。それは物理法則である。それを制御する精神や心がないと暴走する。
15: 2004/03/13(Sat) 19:55
病気をすると、健康のありがたさ、睡眠・食事・排泄が普通にできることのありがたさを実感する、というのはもっともであるが、実際に肉親ががんになってみると、そんな事は言っていられない。
それよりも、死ぬとどうなるのか、そもそもどうして人は生まれてくるのか、人間とはなにか、私とは何か、という事を考える。
人は動物と同じように生殖によって発生して誕生して成長して死ぬ。
それは生物として当然のことであるが、我々は自動車に乗るように肉体に乗っている。あるいは、衣服のように肉体をまとう。
肉体の機能として精神や心があるという考えはもはや笑い事にもならない。
病院に行くバスの前の席に座っていた二人の小さな女の子達を眺めながらそんな事を考えた。
16: 2004/03/13(Sat) 19:58
父は68歳。10月で69歳になる。寿命が延びたとはいえ、68歳で死んでもそうは驚かれないだろう。それががんによるものであろうと、他の病気であろうと、事故であろうと、そろそろ死ぬ時期にある。
健康で幸福な人なら長生きを望むだろう。肉親の死は悲しみでしかないだろう。しかし200歳まで生きる事はないのだ。
17: 2005/05/04(Wed) 22:22
術後の経過は良好で食事もとれるようになり退院した。すぐにワインを飲み始めた。しかしやせた肩や手足はなかなか元に戻らない。ウォーキングはさかんにやっているが大好きだったゴルフはできない。
ガンについての本をむさぼるように読んだ。アガリクスも飲んだ。肉は一切食べない。米は玄米。よく食べるが、とてもまずそうだ。食事も音楽も運動も睡眠もすべて、健康になるための手段である。そのものを楽しむ事がない。
18: 2005/05/04(Wed) 22:25
何度か熱を出したりして、ワインはやめた。
医師は肉食はある程度かまわないが酒はやめたほうがよいと言っていた。
19: 2005/05/04(Wed) 22:28
8月に高熱を出して震えて嘔吐し、入院した。肝膿瘍とのことで、簡単な手術をしてすぐに退院した。夏は暑かったのでそれが堪えたのかもしれない。暮れに兄が結婚し、父はスピーチをした。シャンパンも飲んだ。
20: 2005/05/04(Wed) 22:34
2月、また高熱を出し嘔吐して入院した。また肝膿瘍だろうとのことだったが、今度はなかなか手術をしない。その後腸に腫瘍があると告げられ、切除の手術をすることになった。ただし場合によっては切除できないこともあるといわれ、実際にできなかった。腫瘍は腸だけでなく腹膜全体に散在しているいわゆる癌性腹膜炎の状態で、末期、余命を告げられる。
21: 2005/05/04(Wed) 22:38
前回の手術の時にはまだ希望があったが今度はただ死に向かって苦しむだけの生活が待っているという絶望的な状態で、術後にかけてあげる言葉にも困ったがとりあえずお疲れ様無事に終わってよかったねと言った。体力の落ちた状態での手術であったし精神的にも相当な負担であっただろう。体力よりも心理的に絶えられるのだろうかと不安になった。
22: 2005/05/04(Wed) 22:42
2回目の手術の後、父は少しおかしくなった。一見正常そうであるが、無表情・無感動になった。説明に困ると不安だった病状についてもあまり詳しいことは聞こうとしない。トンチンカンなことを言い出すようになって、術後一ヶ月くらいして、肺炎をおこして呼吸不全の状態となり人工呼吸器をつけた。
23: 2005/05/04(Wed) 22:45
2週間後、呼吸器をはずし意識が戻されたが、父の精神はすっかり崩壊してしまっていた。
24: 2006/04/30(Sun) 08:26
それはとてもあっけないものだった。
誰もが必ず通る道、つひにゆくみちであると覚悟していたのだが、
きのふけふではないという感覚はまさにその通りで、
さらにそれを通り過ぎてもどうということはなかった。
傍らに居た私にとっては人が一人眼を覚ますことのない眠りについた、
というだけのことでしかなかった。
さらに、ひょっとすると当人もそれほど苦しむことなく、
新しい世界に旅立っていったのではないかと思える程であった。
すでに数日前から会話は成立しない状態で、
わたしにとっては1週間くらい前にすでに別れを意識していた。
亡骸はやはりぬけがらとしか思えなかった。本体は、たましいは、
やはりどこかへ行ってしまったのだとしか思えなかった。
死後はあわただしく過ぎて行き悲しむ間もなく
新鮮な経験にむしろ心は高揚していた。
ひととおりの儀式や行事が終わっても、
一人の人間がいなくなったという事以上でも以下でもなかった。
あっけない、とにかく最後はあっけないものだということが痛感された。
訃報もあっという間に新しいものに押し流されていく。
25: 2007/08/20(Mon) 22:24
父がガンで死んでから、同じような境遇の話に興味を持つようになった。最近では元巨人のセカンド、オリックス監督であった土井正三氏である。土井と言えば、私が子供の頃は、1番センター柴田、2番セカンド土井、3番サード長島、4番ファースト王・・・という不動のラインナップの一人であった。地味な存在ではあったが、巨人の不動の2番バッターでありセカンドであった。
土井氏のガンはすい臓がんで父と同じである。すい臓がんは発見が難しく、土井氏の場合も手術できるギリギリのところだったらしい。しかし、いざ開腹してみると予想以上にすすんでいて、手術の途中で何もせずに閉じるか、手術を続行するかを家族に聞いたそうだ。このままなら余命4ヶ月、手術すれば余命は伸びるかもしれないが術中に絶命の可能性もあったということだが、家族は手術の継続を望んだ。手術後も40日くらい意識不明で生死の境をさまよったという事である。
いろんな人の話を聞いていると、積極的な治療を選ぶ傾向がある。告知もほとんどの場合する方を選ぶようであるが、いざ末期となり余命いくばくもないということになると、告知しない事を選ぶ場合も多いようだ。私の父の場合もそうだった。
ガンになって治療を拒む人、手術をしない人、延命治療を拒む人、切らずに抗がん剤の治療を選ぶ人は少ない。家族としてはできるだけのことをしてあげたい、という気持ちもあるだろうが、家族とはいえ人の人生を自分の意志で短くしてしまう事はなかなかできない。たとえその方が本人にとっては苦痛が少ないとしても。
しかしガンの治療というのは壮絶である。10時間を越えるような手術をおこなって臓器を摘出する。痛み止めに麻薬を使い、食事もできずに点滴で栄養をとり人工呼吸器で強制的に呼吸させられる。はたしてこれは生きていると言えるのだろうかと何度も疑問に思った。しかし、積極的な治療をせずに、病床でじっと死を待つというのも恐ろしいことだろう。苦痛よりもその方が恐ろしいかもしれない。私は父の死に様を見て、自分がガンになったら治療はしたくないと思った。こんなことになるくらいなら死んでしまった方がいいと思った。
そして訃報もよく見るようになった。喪主は誰がやるのかとか、葬儀かお別れ会なのか、など。最近は葬儀は親族のみですませてお別れ会をする、というのが多いようである。父の場合はかなり盛大な葬式をした。家族みなが驚くくらいの参列者の数だった。費用もかなりかかった。確か棺桶が15万、骨壷が10万くらいだったろうか。父が生きていればそんなの燃やしちゃうんだから、墓に埋めちゃうんだから安いのでいいよ、と言いそうでもあるが、どうせだから思いっきり高い棺桶にいれてくれ、とも言いそうだ。仏壇も買ったし、墓も小さいものではあったが高価な石を選んだ。気持ちが大事だ、とか、死んでからカネをかけてもしょうがない、という理屈は、ほとんど無力だった。死後のことに誠意を尽くすのは、死者のため半分、自分達の気持ちを済ませるため半分、という感じだ。私は漠然とであるが死後の世界や天国や地獄などを信じている。青年期にそれらをいったん迷信だと切り捨てた後に、あえて信じるようになった。しかし、父が死んで葬儀をして遺体を焼いて跡形もなくなったのを見たとき、墓を建てて骨壷を埋葬したとき、その後の49日、一周忌などの法事、仏壇に線香をあげて手を合わせるとき、一切が無になってしまったという以外のことがほとんど感じられないのである。
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