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自殺の是非

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1: 2005/11/12(Sat) 01:17
自殺とは、自分自身を消し去ってしまいたい、という欲求だと思います。
わたしもよく考えます。しかし、どうしてもできません。
死ぬ事自体が怖いのと家族がかわいそうというのが理由ですが、
死の欲求が強まったら衝動的にしてしまうのではと不安です。

よく言われる「自殺すると地獄へ行く」「自殺は卑怯だ」については、
納得できません。

そこで、自分で納得できるような、自殺を否定する理由を考えるのです。
2: 2005/11/12(Sat) 01:18
自己ってなんでしょうか?

自己は肉体ではなく、肉体の機能の事でもありません。
それなら死を考える事はできないからです。
もし自己=肉体であれば、死と共に自己は消滅するでしょうが、
私はどうしてもそうなるとは考えられません。

自己が死を考えているという事は、死は自己の外にあります。
もし自殺を実行したら、自己はその完遂を確認しようとするでしょう。
しかし、今まで肉体を通してしか認識できなかった自己を、
肉体を失った後でどうやって認識するでしょう?
3: 2005/11/12(Sat) 01:18
私は丹波哲郎が言っているような霊界は存在すると思っています。
地獄・天国と呼ばれるような世界も。
天使や閻魔大王のようなものも。神も悪魔も。
それらの詳細については諸説ありますが、
大まかな感じでは、すべて存在すると。

眠りから覚めるとき、自分が肉体に戻っていく感覚がわかる事があります。
肉体を着る、という感覚です。
怪我や病気をしていると、その痛みや苦しみが、目覚めよりかすかに遅れてやってくる。

眠る事は、死と非常に似ている。
眠りたくても眠れない事がある。
眠りは時として非常に甘美であり、眠りそのものを願う事さえある。
4: 2005/11/12(Sat) 01:18
そしてまた、私はこんな奇妙な考えを持つことがあります。
自分は既に死んでいるのではないか?
何だか、自分は過去に自殺したような気がしてくるのです。
今の自分はお化けである、という感覚。

お化けとは自分の死が自覚できないものである、という事を聞いた事があります。
自分はもしかして死んでいるのではないか・・・?
5: 2005/11/12(Sat) 01:19
目をつぶって眠れずに寝床にいる時など、強烈に自己を意識します。
過去の事を思い出して自己嫌悪に陥ったり、未来を考えて不安になったり絶望したり。
(ちなみにこれも布団に入って書いてます)

ところが、寝床を出て顔を洗ったり食事をしたり、歩いたり電車に乗ったりしているうちに、
自己よりも外界や他人に対する意識が大きくなっていき、
寝床で悩んでいた事がちっぽけに思えて、むしろ自己嫌悪していた自分を嫌悪します。
この状態が、一般的に言う精神的に健康な状態です。
6: 2005/11/12(Sat) 01:19
しかし、それは本当は自己を忘れているのに過ぎない。
臭いものにフタをしただけに過ぎない。
問題を先送りにしただけに過ぎない。
ほとんどの人は、そのまま一生を過ごす。
自己を忘れて肉体の欲望のおもむくままに生きる。

自殺を願うのは、それができなくなった人です。
肉体の欲望の喜びが、自己意識より小さくなってしまった人。
7: 2005/11/12(Sat) 01:19
そして、自己意識とは、罪悪感ではないでしょうか。

「キリスト教が自殺を禁じている」という言葉をよく聞きます。
いろいろ宗派があるとかイエスはそんなこと言ってないとかいう意見もあるかもしれませんが、
そういう事が言われるのも、自己意識が罪悪感と関連しているからだと思います。
罪を意識したときに、それが許されないと考えると自殺する。
許されると考えれば信仰する。
8: 2005/11/12(Sat) 01:19
罪、信仰、ゆるし。

普通の人には理解できない事だと思います。
罪・ゆるしは人間の法律の事でないのはもちろんですが、
それも含まれます。

狭義には罪は違法の事ですが、
それを突き詰めていくと、自己に到達します。
そして悩む。喜ばない。
9: 2005/11/12(Sat) 01:20
なぜ自己に到達すると悩むのでしょうか?

私はまず、こう考えました。

「人間は生まれながら悪い存在である、だから自己を意識すると罪悪感にかられる。」
しかし、そうだとすると、「なぜ罪を罪であると自覚できるのか?」という疑問がわく。

次にこう考えました。

「自己を意識する事が間違っている。自己を意識する事、それこそが原罪である。」
アダムとエバは主に食べるなと命じられた「善悪を知る木の実」を食べた後、何をしたか?
イチジクの葉を腰に巻いたのだ。まさに自意識ではないか。
そして私は自己を意識すまいと努めた。
「客観的になれ」と言う言葉は、実は罪深いことで、主観的にならねばならない。
主観的になって悪い存在は、存在自体が悪いのである。
この考えはほとんど悟りに近いものがありました。
自分だけで到達した考えでもないのですが。

ですが、いずれの考えも間違っていたのは、
今、再び強烈に自己を意識し絶望している事で明らかです。
10: 2007/04/01(Sun) 18:22
これは死に至る病そのものですな。
もう一度読み直すべし。
11: 2007/05/09(Wed) 23:36
以前に私は自殺がなぜいけないのか、自殺をしてはいけない理由をこのような掲示板にながながと書いたことがある。今それをここに載せようと思ったのだが途中から自分の半生を振り返っていて載せるのには不適当なので要旨だけを載せたい。
12: 2007/05/09(Wed) 23:37
自殺は残された人がたまらなく悲しいからやめようね。
13: 2007/05/09(Wed) 23:38
これだけである。
もし、自分が死んでも悲しむ人などどこにもいない、という確信があるのなら、死んでもいいだろう。
私は若きウェルテルの悩みでウェルテルが自殺肯定論を述べるところが大好きだ。
14: 2007/10/01(Mon) 01:23
死にたいという気持ちはついこないだまで消えることがなかったのだが、最近なくなった。そのかわり、殺したいほど憎たらしいやつが現れたのである。それまでは、いつも自分に対してシね、バカ、とののしっていたのだが、今はそいつの事をののしるようになった。もう、寝てもさめてもそいつの事ばかり考えている。そいつは今までに会ったことがないくらい遠慮や照れのない男なのである。確かに私はしょうもない男だし仕事もたいしたことはしていないが、それにしてもヤツの動物的な反応にはあきれるばかりである。
15: 2007/10/29(Mon) 21:36
なんだかんだ言っても、自殺がどうして悪いかを答えられる人はいない。死んだらどうなるかが誰もわからないからだ。もし死んだら何もかも無になってしまうのなら、耐え難い苦しみを持っている人に死なせないのは残酷だろう。丹波哲郎みたいに、人は霊界から修行のために現世に来ており自殺はその修行から逃げることだ、という考えも、誰も本当かどうかわからない。わからなくていいのだ。死んでしまえば何もかもチャラになるだろう。家族や知人は悲しむかもしれないが、生きていることで何もよいことをしていず、人に迷惑をかけることしかしない存在なら、死んでしまったほうがいい。困難を解決するのが一番いいけど、そう簡単に解決できることなら自殺なんか考えない。それから人が死ぬのは単に経済的に困ったとか社会的に失敗したとか言うことだけではない、感情的、心情的に傷つき痛みをかかえたときに死をもってしかそれを止めることができないようなことがあるのだ。
16: 08/05/31(Sat) 04:23
あるサイトによると、平成15年の自殺者は32109人。
別のサイトによると、同年の交通事故死者数は7702人。

自殺者が多いとは知っていたが、交通事故死よりもこれほど多いとは思わなかった。
17: 08/05/31(Sat) 04:28
クルマの免許をとるために教習所に通っていたときに、学科を担当していた教官。わたしはその教官が好きだった。プロ野球の仁志に似た外見で、実直でウソがつけないおひとよしで、少し東北なまりがある。授業でも、気取らないわかりやすい冗談をはさみつつ、にこやかに話を進める。

彼が交通事故死について話してくれたのだが、毎年毎年、まるで交通事故で死ぬ人数が決められているかのように一定の人間が交通事故で死んでいくそうである。
18: 09/03/07(Sat) 06:04
最近、マンションの9階の部屋に引っ越した。
今まで2階より高い部屋に住んだことはなく、高いところに住むのは嫌だと思っていたのだが、
たまたま空いていて安い部屋が9階だったので、まあいっかと引っ越した。
エレベータで上り下りするから、時間や距離的な不便というのはほとんどない。
しかし、玄関のドアを開けて外へでるとき、帰ってくるとき、バルコニーに出て洗濯物を干すときなどに、
なんだか吸い込まれそうな感覚をおぼえる。
それは、飛び降りたくなると言ってもいいような、誘惑に近いものである。
べつに人生に絶望しているわけでも、生きる楽しみがなにもなくて死んでしまいたいわけでもない。
もちろん、飛び降りたときのことを考え、地面にたたきつけられたときの苦痛を考えてぞっとするのだが、
何かがわたしを誘惑する。

部屋のなかにいても、衝動的にドアか窓を開けて、飛び降りてしまうようなことがあっても不思議ではないと感じる。
意外さで言えば、それ以上の意外な突拍子もないとんでもない行動をするのは日常茶飯事だからだ。

9階から飛び降りることなんて、晩飯に1万円使う程度の敷居の高さだ。

そんなことを考えて思い出したのが、ある俳優の転落事故である。
彼は本当に9階から飛び降りた。そしてなんと、フェンスにぶつかって一命をとりとめた。
事件当時も驚いたことは驚いたのだが、あらためて当時の状況を調べてみたら、
彼はただ飛び降りたのではなく、どうやら相当の勢いで前方にジャンプしたようである。

マンションのバルコニーだからある程度の高さの手すりのようなものがあるはずだから、
助走をつけて飛んだのではなく、水泳の飛び込みのように、手すりを思い切り蹴って飛んだのだろう。

どうしてそんな事をしたのかはわからないが、
彼は自殺をこころみたことは間違いない。
たまたま助かっただけである。
19: 09/05/21(Thu) 00:35
親しい人が自殺したときに、「馬鹿野郎」とか「卑怯者」とか言ったり、
見知らぬ人であれば「迷惑」「弱虫」などといったりする。
それに拍車をかけたのは金八先生だろう。

しかし、たとえそれが借金苦であろうと、薬物中毒の果てであろうと、
呵責であろうと、死をもって償うというのは、相当な覚悟がいることである。

私は、それがどんなに卑怯な動機であろうと、死者にはせめて黙祷をささげるだろう。
モクトウとは何か?
祈りである。

祈りとは何か?

あなたは今まで、祈ったことがあるだろうか?
受験の発表のとき?何か失敗をしたとき?
病気になったとき?親が危篤になったとき?

とにかく、わたしは死んだ人は責めない。
20: Mon Feb 20 06:41:49 2012
今また自殺欲が芽生えてきている。
欲というか、それしか選択肢がない、という感じ。
そしていつもそうするように、インターネットで自殺をするとどうなるか、みたいなことを検索する。
当然だれも自殺してもオッケー、なんてことは言わない。
自縛霊になるだの、何十年も同じ苦しみを味わうだの・・・
しかし、お前見てきたのか?
だんだん、こういうことを言う奴に腹が立ってくる。
21: Mon Feb 20 06:51:00 2012
自殺すると死後の世界で苦しむ、というが、
たとえば、電車にみずから飛び込んだ人と、後ろから突き飛ばされて死んだ人では、
同じ死に方でも前者は自殺、後者はそうでない。
「自殺すると・・・」という説によれば、前者は死後苦しみ、後者は苦しまないことになる。
だが、もし前者が生前非常にまじめで正直に生きて、不当な苦しみを受けたためにやむなく自殺して、後者は人をだまして自分のことだけ考えていた人だったらどうだろうか?
それでも、「自殺かどうか」というだけで死後の世界の行き先が決定してしまうのか?
22: Mon Feb 20 06:53:22 2012
自殺かどうかで変わるのは、その人の意志だけである。
もし自殺かどうかが死後の世界を決定するなら、死に方はどうであろうと関係ないはずだ。
ということは、明らかに健康に悪い飲酒や薬物摂取を繰り返した人が病気で死んでもそれは自殺になるのではないか?
23: Mon Feb 20 07:04:50 2012
自殺と対極にある、殺された人はどうだろうか?
その無念さは自殺者よりも大きいのではないか?
それでも、自分の意志ではなく他者によって殺されたことで、
その人の魂は特別あつかいされるのだろうか?
いったいそういった基準はなんなのだろうか?
その人の生前の行いでもなく、死に至った経緯だけで、
そんなに死後の世界の行き先が変わってしまうのか?
ずっと自殺を考えていた人がたまたま殺されても、その人は自殺の罪に問われないのか?
24: Mon Feb 20 07:09:35 2012
エデンの園の、失楽園の話がある。
アダムとエバは、神が食べてはならない、食べたら死ぬ、と言われた
善悪を知る木の実を食べた。

これは自殺行為ではないか?
人は、もうすでに、全員が自殺の罪を犯して永遠に苦しむように定められているのではないか?
25: Mon Feb 20 07:11:26 2012
原罪とは、自殺のことではないか?
人間とは、神の恩寵を捨てて、自分の好奇心を満たすために「善悪を知る木の実」を食べようとしたことによって、神に背き、それによってかえって神から遠ざかり、それ以前よりも劣等な存在に堕したのではないか?
26: Mon Feb 20 07:16:31 2012
それにしても、なぜ神は「善悪を知る木の実」そして「生命の木」などというものを植えたのか?食べてはいけないものを、なぜ植えたのか?いやがらせではないか?
Mon Feb 20 07:19:20 2012
そもそも、善悪を知るとは何か?
人が善悪を知るとなぜ困るのか?すばらしいことではないか?
善悪をわきまえて善をおこない悪を避けるのがあるべき人の姿ではないのか?

もしかして、人間はそもそも善悪などという概念がない、心に邪悪なものなどないから、
すべての意志や行動は善なるものであったとでもいうのだろうか?
それなら、ますます「善悪を知る木の実」の存在意義がなくなる。

とにかくここにつきる。神が「善悪を知る木の実」を園の中央に植えたのはなぜなのか?
その木の存在意義はなんなのか。
Mon Feb 20 07:22:07 2012
そして、どうしてその木の実を食べると死んでしまうのか。
そんな危険な木をどうして中央に植えたのか。
そして、実際に食べてもどうして死ななかったのか。
人は永遠に生きるべくして生まれたが有限な生となったのか。

どう考えても府に落ちない。
27: Mon Feb 20 07:33:05 2012
もしかして今生きている人間は全員地縛霊なのではないか。
自分の死を自覚せず、死んでいるのに生きていると思い込んで地上に執着している、まさに人の姿ではないか。
28: Sun Mar 25 19:49:05 2012
自殺をする前には準備が必要である。まず、自分が死んだら死体を片付ける必要がある。それは自殺の方法によるがおそらくほとんどの場合は救急車を呼んで病院に運ぶことになるだろう。自殺する人は自分が死んだ後のことなど考えないだろうが、自分の死体についてくらいは少し考えるのではないだろうか。
29: Sun Mar 25 19:51:25 2012
だが、私が心配しているのは、その後である。自分が暮らしていた部屋の後始末である。住む人がいなくなったら、その部屋においてあるものは無用になる。自殺した人が使っていたものを誰かが使うというのは気持ちよいものではない。できれば、そういう物は処分しておくべきであろう。
30: Sun Mar 25 19:56:36 2012
理想は、まず一人暮らしをする。そして、自分の持ち物を減らしていく。仕事を辞める。諸契約をすべて打ち切る。1週間くらい、ホテル暮らしをする。インターネットカフェなどでもよい。そして、死ぬ。
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