bbz

登山

_
previous | next | edit
1: 09/06/28(Sun) 11:05
最近、登山の真似事を始めた。
きっかけは富士山である。
2: 09/06/28(Sun) 11:07
別に富士山に登ろうと思い立ったわけではない。
富士山がよく見える場所に引っ越してきて、どうせならもっと近くで見たいと思った。
最初は自転車をこいで国府津あたりまで行ってみた。
そこで知った、東から富士山に近づくと、箱根が立ちはだかっていることを。
3: 09/06/28(Sun) 11:08
最初は、自転車で箱根を越えようと思ったのだが、
調査の結果かなり困難であることがわかったので、とりあえず電車やバスを使い、
湯坂路や足柄道を歩いた。
それはハイキングとかトレッキングとかいうつもりは全くなく、
どちらかというと歴史をたどるような意識が強かった。
4: 09/06/28(Sun) 11:10
しかし、どちらの道もけっこうな運動量であり、
足柄道を歩くことは矢倉岳を登山するという事であった。
矢倉岳は800m台だが、頂上から見回すと山が沢山見える。
富士山以外にもたくさん山があって、
たくさんの人がそれらに登っていることを知った。
5: 09/06/28(Sun) 11:13
最初はスニーカーで散歩のように登っていたが、
トレッキングシューズを買い、弁当を持って、早起きして行く様になった。
今までのスポーツとは少し違った体力の使い方が新鮮だった。
景色も美しく、花、鳥、緑、に囲まれることは、
テレビやインターネットに浸って眠っていたいろんな感覚をよみがえらせるようであった。
6: 09/06/28(Sun) 11:17
しかし、これから登山を趣味としていくかということになると、そうはならないだろう。
まず、私は1000mちょいの山に登っただけで頭が痛くなり、鼻水が出たりする。
酸素欠乏症、いわゆる高山病である。
普通は高山病というのは3000m近くになってなるものらしい。
しかし私はおそらく酸素供給能力が低く、多分登るペースが速すぎるのだと思う。
非常に追い込んで登る。装備や登る山こそ初級だが、体力の消費度はかなりのものだと思う。周りを見てもそんな人はいないし、
周りの人が私を見る目も少し不審そうである。
7: 09/06/28(Sun) 11:22
という、体が山に向いていそうにない、というのが一つ。
これは慣れればなんとかなるのかもしれないが。

もう一つの理由は、他の登山者達との接し方だ。
すれ違うときはこんにちわと挨拶をしたり、登り道をゆずったり、
後ろからペースが速い人がきたら止まってゆずったり、
そういうことがわずらわしい。

狭い道だから譲り合いは当然としても、
わざわざ挨拶するのはめんどくさい。
8: 09/06/28(Sun) 11:29
接し方というのには、単独登山が一般的に禁じられている、ということも含まれる。
実際は単独登山者などたくさんいるようだが。
「単独は危険ではない、むしろグループの方が周りに合わせようと無理をしたりして危険だ」という人さえいる。
9: 09/06/28(Sun) 11:32
私は休日は一人で行動する。
友達がいないからだが、一人になれるのが休日の一番いいところである。
私は人付き合いが苦手で、一枚皮をかぶって距離を置いて付き合う。
本音をぶつけあって理解しあう、ということはしない。できないのではなく、したくない。
本音をいいあって理解しあわないと成立しないような集団は、その集団が社会に適応できないだろう。さまざまな反社会的なグループがその例である。
10: 09/06/28(Sun) 11:36
話がそれたが、単独行が建前上禁じられている世界にどっぷりとはまることはできない。
また、わたしは「登山を趣味としています」といいながら、楽しんで山を登るという意識ではない。
かと行ってふらっと気ままにお散歩感覚で登っているわけでもない。
11: 09/06/28(Sun) 11:39
それからもう一つ、これは登山に限らずアウトドアスポーツ全般に言えることであるが、
「自然に親しむ」という行為が、自然を破壊しているということ。
海でも山でも、人気のある場所は汚れて荒廃する。
そして、それを修復するのも観光地としての立場からでしかない。
その結果、自然とは名ばかりの人間が作った人工のレジャー施設のようになってしまう。
12: 09/06/28(Sun) 11:41
沖縄もそうだ。
ダイビングも一人ではもぐれない。
これは、登山よりもっと厳しい。
私がダイビングをしない最大の理由はそこである。
13: 09/06/28(Sun) 11:45
子供の頃から、「自然に親しむ」ということにはあまり興味がなかった。
釣り、スキー、サーフィンといったことは、スポーツとレジャーが混ざっていて、
軟弱であるとすら思っていた。
装備にお金をかけるのもイヤだった。
山や海に、必要な設備を工事するような人たちが安全のため、必要のために装備して
人々に利便をもたらすために仕事をしにいくのはすばらしいことである。
しかし、自分が楽しむため、日ごろのストレス解消などのために、
自然に入っていくことは、わたしにはどうしても馴染めないのだ。
14: 09/06/28(Sun) 11:48
本当に美しいものとは、こしらえられたものではなく、
何かの目的のために工夫しムダをそぎ落とした、結晶のようなものである。
レジャーにはそういう美はない。
レジャーという行為そのものが美しくない。
本当にいい仕事をしたときは、アスファルトの道路に並ぶ街灯だって美しくみえるし、
カップラーメンだっておいしいのだ。
^
previous | next | edit