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俺大学

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1: Sun Jun 6 09:16:04 2010
私は大学に入学はしたがほとんど出席せずに2回留年したあげくに中退した。
取得した単位は保健体育の1単位のみ。

大学よりも大事だと考えていたことがあって、そのために学生生活を犠牲にしたのである。
人に話せば、なんてバカなことをしたんだと言うだろう。
損得で言えばまったくの損で、その点については後悔している。
しかし、人間、損得勘定だけで生きるのではない。

折に触れて自分の不勉強を感じて、やっぱり大学に行っておけば・・・と思うことがよくある。
しかし、それはあくまでも「学歴」としての大学であって、
純粋に学問を身に付けていないことの不足を感じたことはほとんどない。

わたしは比較的有名な会社で仕事をしてきて、有名大学出身者を見てきた。
東大のKさん。九州大のTさん。一橋大のM君。東工大のK君。慶応のW君。東大のOさん。
電通大のYさん。

でも、彼らに対して、何か本質的な能力の差があると感じたことはほとんどなかった。
だが確実に感じたものは、彼らの「余裕」である。
そしてそれが、能力や知識から来るものではない、むしろ、
「能力や知識がなくてもやっていける」ということを確信したところからくる余裕である、
大学と言うものを卒業して得られる唯一のものである、とほとんど真理だと確信していることである。
2: Sun Jun 6 09:22:41 2010
ブログ、twitter、テレビ等で活躍している「文化人」「政治家」などに、私の年下が占める割合が増えてきた。
40代ともなると、いまやベテランの域に入る。

スポーツ界ではもう現役を終える人がほとんどである。
「文化」の世界では40代などまだヒヨっこなのだろうが、たとえば芥川賞などは、今では私より年下の作家が受賞することはまずなくなった。先日三島由紀夫賞を受賞した東君は私より3つ下で、彼は大学教授である。

私の高校の同級生で、大学の准教授をしているものが二人いる。
ひとりは慶応、もうひとりは東大を出ている。二人とも理系だ。

私は彼らと同じ教室で同じ授業を受けていた。
授業を聞いていないのは同じだったが、彼らは授業中に受験勉強をしていて、
私はただボーっとして教科書に落書きをしたり妄想していたという違いがあった。
3: Sun Jun 6 09:28:24 2010
私にはそういう大学教授になれるくらいの基礎があるということは自負していて、
その中途半端な自負がかえって私の人生に差し支えた。

わたしは常に自分の能力を発揮しきれないと自覚しつつ、その能力を内に秘めて、
こんな場所で俺の能力は生かされないのだと思いながら生きてきた。

それは別にうぬぼれでも勘違いでもなくて、実際に「仕事」で求められた能力はごく単純なもので、
知識や技能よりも、理不尽さに耐える不屈の忠誠心や、顧客、上司、先輩、同僚、後輩らの失敗や
無知や誤解をなんとか補い合っていくという奉仕の精神で、
それらはせいぜいが中学校くらいまでに学んだ、それも授業としてではなく、
たんなる経験として、学んだことだった。
4: Sun Jun 6 09:34:39 2010
だから、私は最近まで、自分が大学をやめたことなど過去のことだと忘れてすごしてきたのだが、
あることをきっかけに、私と同年代のサラリーマンが、私の倍くらいの年収をもらっていることも珍しくないと、
知ったのである。

たとえば私の兄。
彼は私より3歳年上で、ある私立大学を出て、サラリーマンになった。
私は兄が就職した会社の名前を知らなかった。
兄は第一志望の大学に入学できなかったことが非常にショックだったようで、
不合格がわかった翌日、部屋のドアを締め切って一歩も外へ出てこなかったのをおぼえている。

そんな兄は今ではその会社の課長になって、
年収は私の倍ほどであることを知った。
多分、同年代でも多くもらっているほうだと思う。

私は兄がちゃんと仕事をしているのか心配するほどで、ヘタをしたら自分のほうが給料が多いのではと
思っていたくらいで、まさか倍ももらっているとはまったくの予想外で、相当ショックを受けた。
5: Sun Jun 6 09:40:37 2010
私は今、個人事業主として仕事をしているのも、ほとんどの会社は大卒を条件としており、
学歴を問わない会社であっても、正社員だと給料がお話にならないほど低いからである。

私が最初に就職した会社には5年ほど勤務したが、
辞める年の月給は20万前後、それも残業代あっての額で、もしまったく残業がなかったら、
手取りで15万ももらえないような状態だった。

それが、派遣にしたら倍くらいになった。
ただし、その「派遣」の内情は偽装請負であり、社会保険等に加入していなかったので、
将来受け取れる厚生年金やら退職金やらを考慮すれば、よくてトントン、ヘタをしたら正社員より安い給料だった。
6: Sun Jun 6 09:43:14 2010
今でも忘れない、恨んでいると言ってもいいのは、
その偽装請負の契約をした派遣会社はいまや業界トップクラスの有名な会社で、
私の担当営業だった男は会社をたちあげて順調に業績を伸ばしていることだ。

ベンチャーの雄みたいな顔をしているが、
彼はわたしのような偽装請負の契約者を無数に生んで、金儲けをしたのである。
ビジネスとはそういうものである。
7: Sun Jun 6 09:45:49 2010
私も、正社員になれないからと仕方なかったからとは言え、自分で選んだ道だから、彼に文句は言わない。
しかし、やむにやまれず選択するのと、金儲けという、生活していくためではなく、
贅沢をするための、いわば酔狂のために他人を利用するのとでは、大違いで、
心情的には彼など生きるに値しない最低ランクの人間に位置づけている。
8: Sun Jun 6 09:48:16 2010
もうひとり、私を偽装請負で使った人間で、侮蔑している男がいる。
彼は先ほどの男ほど成功はしていないが、やはり会社を経営して生きている。
「IT業界」での人材派遣(偽装請負)というのはやたら儲かるようだ。
彼に関しては、契約上でひともんちゃくあったので、直接不快の意を示した。
9: Sun Jun 6 09:53:23 2010
話がそれた。
そういうわけで、わたしは「学歴」というものに対して、生々しい切実な経験を伴うコンプレックスがある。
しかし、それは学問の本質とは関係のないことである。

ほとんどの人は、学問を研鑽するために大学に通うのではない。
就職するため、就職したあとの待遇がよくなるために、という動機で、手段として通うのである。

私は、学者には一目おいている。
学者と言うのは、ただ生活するだけではなく、なんらかの奉仕の精神がないとやっていけない職業だからである。
弁護士、医師、政治家なども同様である。

それらの職業に関して、比較的収入が高額であることから、カネが目的のえげつない人々のように、
とくに政治家について、言われることがあるが、私はそういう見方をする人を軽蔑する。
10: Sun Jun 6 09:55:43 2010
たとえばその典型的な例が、小沢一郎である。
小沢一郎というのは権力にとりつかれた悪の権化のような男で、
表舞台には立たずに政権を裏で支配し、影の実力者として日本を牛耳ろうとしている、
というような見方をワイドショーや夕刊紙などでされているが、
私は彼は純粋に日本を変えたいと考えていて、そのために裏方として誠実に仕事をしているのだと見ている。
11: Sun Jun 6 10:00:21 2010
また話がそれた。

つまり、大学が正常に機能していない。
そもそも大学や大学院を出た人々は、サラリーマンになどなるべきではないのである。
研究者になるか、起業して、無学な連中をこき使うべきなのである。

それがどうして、私的公務員のようなサラリーマンなどになって、
つまらない仕事に耐えるのが社会人であるかのような人生観を持って生きていくのか。
12: Sun Jun 6 10:41:39 2010
というわけで、私は今大学で教えられているようなことを自分で勉強して、劣等感をおさめたいと思う。

大学でどんなことがされているのかわからないが、
どうやら、まず最初の2年で教養科目を学ぶ。たとえば憲法、民法、刑法、経済学、数学、論理学など。
そして専攻科目を学ぶのだが、これは教科書となる本を読んでレポートを書きそれを添削してもらう。
そしてゼミというもの。これは少人数でディスカッションをするものらしい。
そして最後、卒論を書く。
13: Sun Jun 6 10:46:55 2010
独学が怖いのは自分の位置が見えないことであるが、
逆に集団で誤ったことを学習していても気付かない。
14: Sun Jul 4 06:21:11 2010
やってみたいこと。
フランス語、ドイツ語、ロシア語、スペイン語の基礎(実用にならなくてもよい)。

フランス語、中国語はちょっと詳しく。

shakespearerの King Johnを翻訳してみる。もしくは、マンガ化してみる。

ヘーゲルを読む。まずは精神現象学の翻訳から。

メルロ・ポンティ、フッサール、ハイデッガー、レヴィストロース、ドゥルーズなどの主著を読む(翻訳)。

カフカの研究。

ヘブライ語と、ギリシア語。

「言語」を作ってみる(コンピュータの言語ではない)。
15: Sun Jul 4 06:33:47 2010
朱子学、陽明学。
本居宣長。
ボードレール。

ゲーテ。
神曲。


16: Thu Jul 8 07:00:13 2010
首都大学東京 都市教養(法学系)は、センターが国・英+1の三科目、二次が国・英。これはねらい目。

横浜国立大学 経営学部はセンター5教科6科目のみ+調査書。これもねらい目。
夜学もある。

でも夜学いって昼間仕事するより、昼間大学行って夜バイトしたほうがいいような気がするんだよな・・・。
17: Thu Jul 8 07:11:13 2010
いやいや、どうせ無謀な試みなんだから、東大に挑戦する。
どうせ数学と世界史はやらないとダメだから。それを避けるくらいならこのチャレンジも無意味になる。

多分、数学は中学レベル、ことによると算数レベルからやり直す必要がある。

英語・国語との差がありすぎるので、多分基本的な何かがかけている。
俺は高校入試までの学力は問題ないと思い込んできたけど、数学的な思考はすでに中学あたりから怪しくなっていて、
問題演習などで強引に突破してきたが、実力がない。だから高校で数学ができなくなり、
理科が総崩れになった。

歴史についても、丸暗記で対応してきたけど、これも何かが欠けてるんだろう。
それを探して補うのが先決だ。それをせずにむやみに入試問題などをこなしてもつらいだけだ。
18: Sat Jul 10 10:11:34 2010
横浜国大の経営学部の夜間では社会人入試がある。
TOEICまたはTOEFLと、小論文と面接のみで、センター試験等はない。

英語は得意だし論文もいいが、問題は面接だ。動機だ。
いまだに大学へいく動機は不明確だ。行きたいという気持ちは強烈にあるのだが。
好奇心が旺盛であるだけで、十分だと思うのだが。

だが、社会人だけに、仕事の都合で辞めますとか、こんなことくだらないよと偉そうに教授にくってかかるとか、
そういう輩が入ってこないようにチェックをするのだろう。
私はそういうことは絶対ないんだけどな。

俺なんか、日本のどこの大学からも是非学んでくれと招待状をもらって、学費免除は当然のこと、
住居費も出してもらっていいくらいの逸材なのに!!
19: Sun May 19 11:28:50 2013
大学を辞めたことに対する後悔が年々強くなっていく。最近ではどうして辞めてしまったのかと不思議になるくらい、当時の自分の考え、気持ちを忘れてしまったのだが、先日学生時代の思い出のある御茶ノ水へ行って古本屋などをふらふらしているときに思い出した。
20: Sun May 19 11:30:19 2013
私は、出家したのである。世間を捨てたのである。出世、幸せな家庭、美食、友人、そういったものを捨てたのである。
21: Sun May 19 11:31:44 2013
そしてそのあと、これはおそらく当時はおぼろげにしか感じていなかったことであるが、大学というものはヒューマニズムを根本理念にしていることに気づいた。
22: Sun May 19 11:39:13 2013
ヒューマニズムという言葉は、人の個性、自由、権利などを重んじるといった善い意味でつかわれるようだ。

現代の日本では「人道主義」とほとんど同義に使われている。

日本語だとなぜか「人間主義」ではなくて「人文主義」と訳される。
23: Sun May 19 11:41:05 2013
ヒューマニズムとは何か。人間なのだから人間中心なのはあたりまえではないかと思うが、これは神中心の考えからの脱却、もっというと反抗である。わたしはそうとらえている。ルネッサンスやヒューマニズムというのは神への反抗である。そして大学というのはそれを突き詰める場所である。そして私はそれは間違ったことであると考えて、大学を辞めたのである。
24: Sun May 19 11:43:36 2013
「大学が就職のためのパスポートになっている」ということはよく言われる。批判的な意味で。私もそう思う。だがこれは誰が決めたことでもなく、自然にそうなっただけである。「十分に教育を受けた人が立派なビジネスマンになれる」と考えている人がいるかもしれないが、私はそうではないと思っている。学問とビジネスは別物であるのはもちろん、方向性が逆でさえある。
25: Sun May 19 11:46:14 2013
そしてもうひとつ、これは私はつい最近わかってきたことなのだが、教育というのはアタマをよくするものではない。能力を鍛えるものではない。人間中心主義であるから、強制・矯正はもっとも憎むべきものである。強制されるのは神に反抗することだけである。われわれは教育によって神から離れ、合理的に自由に生きることを命じられる。そして私はそれを拒否したのである。
26: Sun May 19 11:47:13 2013
だから、私はこの社会に、合理的で自由な人間が作り出した社会に順応できないのも当然のことである。
27: Sun May 19 11:53:20 2013
ところが、この「ヒューマニズム」というものが神と相容れないということを、ほとんどの人が見逃しているように思えてならない。神を信じることは博愛や人道主義に通じると考えている人がほとんどではないだろうか?クリスチャンや「神父」「牧師」と言われる人でさえそうである。
28: Sun May 19 11:58:08 2013
クリスチャンというと、「善人」というイメージがないだろうか。「偽善」と言ってもいい。穏やかで、礼儀正しい人々。

イエスは「愛」を説いた。「神を愛しなさい」「自分を愛するように隣人を愛しなさい」と言った。「隣人を愛する」とはどういうことだろうか。

宗教的なものを知識や教養としてとらえる人々がいるがそれはやはり方向性が違う。資格でもない。「立派な人間になるために必要なもの」ではない。むしろ逆だ。
29: Sun May 19 12:03:15 2013
大学へ行き、企業に就職し、仕事をして金を稼ぐことが「偉い」と言われることがあるが、私は偉いとは思わない。それは自分のためだからだ。働いてカネを稼ぐほうがその人が幸せに暮らせると考えるから努力するだけである。それは「賢明」なだけである。
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