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古文

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1: Wed Jul 7 04:03:11 2010
世界史、数1、数Aを終えて、私の研究も軌道にのってきた。何に役立つというわけでもないが、
自分の考え方、書き話すことばが明らかに違っているのを感じる。

次はどうしようか迷ったが、古文にする。古文はなんとかなる分野のひとつである。
高校のときの授業は理系クラスがとる、週に1回のほのぼのとした授業であったが、わたしは楽しみにしていた。
古文は源氏のような怪しからん話や伊勢のようなコントのような現実離れした話が題材なので楽しかった。

とくに「みをえうなきものにおもひなして」という言葉にはいたく共感したものだ。
2: Wed Jul 7 04:14:35 2010
その後予備校で補強したが、それ以後、古文を学ぶことも読むこともほとんどなかった。
源氏物語は授業で読んだ断片的な何篇かだけである。伊勢物語、古今和歌集、万葉集などをぱらぱら見たり、
あとはおぼえた百人一首をふとしたきっかけに思い出してその意味を考えたりするくらいだ。

百人一首といえばわたしは覚えるのが得意だった。高校の授業でかるたとりをしたときにそれがわかった。

だが、ほとんどの級友達は古文などに興味はなかった。
古文ほど役に立たずバカにされている教科もないだろう。

テキストは以前買ったが読んでいなかった小西甚一という人の書いた「古文研究法」だ。
第一部 語学的理解が227ページ
第二部 精神的理解 108ページ
第三部 歴史的理解 70ページ

全部で400ページくらいか。ちょっとひるむ。一日10ページとして40日だが、
そんなペースでは飽きる。

わたしたちは学生の頃に「毎日少しずつ」とよく言われた。
それは真理かもしれない。
だが、それは楽で簡単なようで、実は一番難しいことだ。
3: Wed Jul 7 04:19:24 2010
さて、どうやって研究しようか。(これから私は勉強という言葉を使うのをやめて、研究と呼ぶ。)

学生が学ぶというのは、具体的にどうすることか。
まず、教師の話を聞く。板書を写す。話の要点をつかみ、それを覚える。

自習の場合は、教科書などの教材を読む。

ここからが問題だ。巷で実践されていることは、線を引く。要旨をまとめてノートに書き出す。
著者の問う問題を解く。
4: Wed Jul 7 04:27:48 2010
これらの行動の目的はおそらく漫然と読んでいるだけでは内容を把握できないから、自分の理解を確認するために、ノートに書いたり、線を引いたりするのだろう。

しかし、教科書というのは、内容が非常に圧縮されてムダがない。
これはまとめるのはほぼ不可能である。

わたしは世界史の教科書を読んだときには、ほとんど丸写しなくらいのまとめ方をした。
写経したようなものである。

数学に関しては、これは効果がないだろうと考えて、定理だけを抜き出して写し、演習問題を問いた。
5: Wed Jul 7 04:41:54 2010
知ること、おぼえること、身に付けること。
どんな学習であっても、「おぼえる」という操作が必要だ。
学習とはおぼえることであるといってもいい。

だが、そのおぼえる次元と言うか、段階というか、そういうものが異なる。
あるいはおぼえ方が違うといってもいい。

たとえばもっとも単純なのは、「800年にカールが戴冠した」というような、いつ誰が何をした、という記憶。
これには何の特別な能力も必要なく、「丸暗記」とか「馬鹿でもできる」などと言われる。

しかし、それが紀元前何世紀から2000年までの世界各国の出来事をおぼえるとなると、単なる暗記ではとうていおぼえることはできない。そこでよく言われるのが「歴史の流れを把握する」ということだ。

しかし私はこの方法をあまり好まない。なぜなら、えてしてそれはおぼえる為に恣意的に自ら流れを作ることになりがちだからだ。多くの人が、「中央集権国家から民主政治へ」という流れで歴史を捉えているだろう。そして民主主義は長い年月と戦争を経て人類がたどりついた理想のシステムであると。それ自体、恣意的な歴史観である。民主主義はギリシア時代にすでにあった。民主化がおこって人類の歴史はどうなったか。世界大戦まで起きたのである。

私は民主主義は完全ではないどころか、非常に危険で最悪とさえいえると考えており、極端な事をいうと世界大戦の原因は民主主義であると思っている。
6: Wed Jul 7 04:44:51 2010
教科書でも、その「恣意的な流れ」を作らないようにという配慮がなされている。
史実だけを客観的に主観を排して羅列しているのが基本だ。

しかし、やっぱりただの事実の羅列では歴史にはならない。歴史と言うのは主観なしに記述できない。
客観的な史実の把握というのが科学的だというのなら、歴史は科学ではない。
7: Wed Jul 7 05:10:28 2010
・・・ゴタクはもういい!始めよう!
8: Wed Jul 7 05:34:02 2010
枕草子がおもしろい。清少納言、天才だ。
9: Wed Jul 7 06:21:19 2010
枕草子は中学校で習ったっけ。春はあけぼのとか。みの虫の話は泣ける。

清少納言は、能天気というか、暢気というか、せつなくなるほど、子供の頃の無邪気で平和で、
カネとか出世とか社会とかそういうものが何もなかった、おだやかな日々を思い出させる。
10: Wed Jul 7 06:29:49 2010
「古文研究法」には枕草子が多く例文として使われている。枕草子は非常に読みやすく、言っていることにも共感できておもしろい。一方、学生のときから断片的にではあるにせよ読む機会の多かった源氏物語は共感どころか意味もよくわからないことが多い。

久しぶりに古文を新鮮な気持ちで読んでみて、清少納言と紫式部の違いを感じた。清はおしゃべりで無邪気で社交家で常識家。紫は、冷たくてプライドが高くて、多分おとなしくて言葉少ない。低血圧でやせていて目が大きくてクマができている。理屈っぽくて排他的。

イメージしたのは日本語が滅びる時を書いた人。

清少納言は、テレビのひな壇芸人みたいな人。
11: Wed Jul 7 06:33:19 2010
ライバル関係のようなものは、実際にはなかったようである。面識すらなかったようだ。
ただし紫は清を批判する文章を書いている。これは彼女の書いたものを読んでの評であろう。
そういうものを書くことからも、先ほど書いたような性格がうかがわれる。
12: Wed Jul 7 07:45:11 2010
まず42ページ読んだ。のってくれば1週間くらいでいけそうだ。できれば土日に一気に終えてしまいたい。
13: Wed Jul 7 07:47:10 2010
この、とりあえず一周してみる、というのは、ソフトウェア開発で学んだ手法だ。スパイラル開発とかいう。
それに対して伝統的な工程の後戻りがないものを、ウォーターフォール型という。ウォーターフォール型でも、実際には後戻りがあって反復した形になっているのがほとんどである。
14: Wed Jul 7 07:51:06 2010
しかし暢気な世界だ。この暢気さはなんだろう。世界史の血塗られた世界とは別天地だ・・・。
たぶん、ほとんど異民族のいない、しかもそのなかでも閉ざされた貴族社会の中での出来事であることによるのだろう。

世界史でも、独自の文字を持つ少数民族が存在していたが、大国に服従し吸収合併されていった。
15: Thu Jul 8 02:22:51 2010
「せたまふ」「させたまふ」は最高度の敬語であり、天皇あるいはそれに準ずる身分の人にのみ使う。
読む立場からすると、この敬語が出てきたら天皇のことだ、と解釈する。
ただし、会話や手紙の文章の場合はそれほど高貴でない人にも使う。

これはあちこちで繰り返し説明されている。

そういえば、現代でもメールでは敬語が過剰に使われる傾向がある。
「ご教示ください」「・・・して頂けますでしょうか」などと。

私はそういうのを「時代劇じゃあるまいし」と否定的に見ていたのだが、
それはどうやら日本人が手紙文を書くときの伝統的な態度のようだ。
16: Thu Jul 8 02:27:50 2010
「をかし」と「あはれ」

これは古文を習うとすぐにでてくる現代語と意味のことなる形容詞で、確か中学で習っていたのではないか。

これについて古文研究法では次のように述べられていた。

あはれ・・・全体的・情的・直感的
をかし・・・分析的・知的・観察的

つまり、有無を言わさず理屈抜きに心を動かされるのが「あはれ」で、
言葉や行動の主体の意図がわかってニヤリとするようなのが「をかし」だ。
17: Sat Jul 10 05:19:25 2010
徒然草は古文(中古文)の代表のように思い込んでいたが、書かれたのは14世紀で、平安時代の文章をまねて書かれたものだそうだ。枕草子や源氏物語が10から11世紀ごろだから、現代で言えば江戸時代の文章をまねるようなものか。
18: Sat Jul 10 05:47:29 2010
~P175まで、助動詞についてが終わる。
だいぶ古文に慣れてきた。この本もそんなに隅々までは読んでいないし、例題があるけどほとんど解かず、わかったものだけ軽く解いているだけなのだが、それでも十分理解は深まっている。

この本も、ざっと流して概要だけつかみ、詳細はあとからリファレンス的に調べる。


「自発」とか、係り結びとか、そういえば習ったな・・・ということがよみがえってくる。
古文は嫌いではなかったこともあって、結構ちゃんと勉強していたことがわかる。
19: Sat Jul 10 09:32:53 2010
古文で作文するのは難しい。英語は作文があるが、古文で作文させるというのはきいたことがない。

ひとことくらいならすることはある。「雨いとながうふれり。かびてしまうなり。」
これは私が浪人していたときにノートに書き付けたものだ。我ながらなんかいいなと思ったので、よくおぼえているのだが、文法的には間違っているかもしれない。

20: Tue Jul 13 22:44:01 2010
ものゆゑ、ものから、ながら、順接・逆説両用の接続助詞・・・。
言葉の法則性は例外だらけだとはよくわかってはいても、さすがにこの順・逆接を兼ねるというのは、どういうこと?

正反対の意味を、同じ言葉にもたせるって。
21: Fri Jul 23 01:32:14 2010
古文研究法を一応読み通した。隅々まで読んだわけではないが、とてもおもしろく、ためになった。
この本は受験の参考書でないのはもちろん、古文だけでなく、日本という枠も超えた、文学論といってもいい書物である。

問題や例としてあげられていたのは、枕草子、源氏物語、徒然草、大鏡、土佐日記か更科日記が多かったように感じた。
枕、源氏、徒然は、ほとんど文章が出てくればそれとわかるくらいに特徴がつかめた。枕は読んでいて自然にほほがゆるんでくるから嫌でもわかる。源氏は暗くて冷たくてちょっと気取った感じ。徒然は枯れて無駄がなくて常識的なことを述べているのでこれもすぐわかる。

大鏡は、あまり有名でないのに、よく出てくる感じがする。そして、この文章も私は好きだ。

ただ、枕草子や徒然草を岩波文庫で買って読もうという気には、なぜかならない。
本屋へ行って手に取ったことは何度もあるのだが、どうしても買う気にならない。なんか、違うと思うのだ。
活字だからだろうか。筆でさらさらと書いたものでないといけないのだろうか。
22: Fri Jul 23 01:41:02 2010
日本の特殊性についても述べられていた。日本の思想で、丸山真男も、特殊性を述べていた。
文学も然りである。それは、叙事詩といえるものがほとんどなくほとんどが抒情詩であるとか。
政治も、科学もそうか。夏目漱石も、福沢諭吉も、みんなそうか。日本は特殊で普遍じゃない。
だから世界に通用しないと。そして、首をかしげながら、不本意だと思いながら西洋の文学、思想、科学、文化を取り入れていった。
23: Fri Jul 23 01:48:28 2010
それはちょっと余裕のある日本人であれば(教養があるとか知的とかではない、余裕があるかどうかだけの問題だ)、誰でも考えたことだろう。「なぜ日本人が特殊なのか、日本人の特殊性とは何か」と。それは地理的な要因も大きいだろうし、ほぼ単一民族であることもあるかもしれないし、よく言われる「侵略されたことがない」ということもあるだろうし、ユダヤ民族の末裔という説もわたしはあると思うし、神国であるというのもさらにあると思う。

その一方、日本だけがそんなに特別なわけはない、どんな国や民族にも過去には伝説や神話があって、みなほのぼのと平和に夢見るように生きていた時代があって、それが異民族と軋轢を生じたり、人が増えて階層化が発生するうちにだんだんと社会というものができて、即物的、個人主義的、利己的になっていったのはどこも同じで、インカとかアステカとかもそうだし、インディオとか、ギリシアやローマの神話もそういうもので、日本は現代まで古代をひきずったまま来てしまったのだとも考える。
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