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虚しさに立ち向かう

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1: Fri Jan 4 18:30:03 2013
何もしたくない。本も読みたくない。映画も見たくない。音楽も聴きたくない。眠くない。食欲もない。酒も飲みたくない。性欲もない。何をする気にもならない。寝転がって天井を見つめる。すべきこともない。不安も恐怖もない。楽しみも悲しみもない。恐ろしいことだ。恐ろしいといっても逃れられるようなわかりやすい恐怖ではない。何もない恐ろしさだ。これに直面し逃げないのは勇気のいることだ。何か夢中になれるものを見つけてそれに関わっていれば忘れられるかもしれない。私も今までそうしてきた。それが生きることだと思っていた。これを見つめても何も出てこないと思っていた。しかし、何をやっても結局ここへ帰ってくる。これは、見つめなければならないものではないのか。直面しなければならないのではないか。テレビも見ず、体を動かし腹をすかせ眠くなることもせず、じっと見つめる。なにもない所を見つめる。
2: Fri Jan 4 18:36:04 2013
高校生の頃、今感じているのと同じようなことを感じたことがある。もう20年以上前だ。その時と何も変わっていない。20年もたって何の成長もしていないというのは普通の人ならおそろしく直視できないことだろう。だが今の私はそれを直視できる強さを持っている。そうだ、私は強くなったのだ。
3: Fri Jan 4 18:38:32 2013
虚しさを象徴していたのは、毎朝通学するときに駅まで自転車で行く途中にある下り坂だった。自転車を漕がなくても勝手に自転車は走り、私は何もしなくても体は駅に近づいていく。それを毎日繰り返している。私の人生も、毎日の生活も、漕がずに進む下り坂の自転車のようなものだった。私はそれが不思議であるのと同じくらい、おそろしかった。
4: Fri Jan 4 18:45:35 2013
その後私は高校を卒業し、意味も目的もわからぬまま当然とされている大学進学を目指した。一度失敗し、浪人と呼ばれるやり直しをおこなって大学へ入学した。その間にちょっとした事件があった。それは私が虚しさを克服するために、避けることのできないことだった。それは決して私に利益のあることではなかった。得することではなかった。でも、私はそれを選択した。傍から見たらそれは愚行であり、過失にさえ見えたかもしれない。自分でもそう思ったこともあった。しかし今ではわかる。あれは迷いでも逃避でも過失でも汚点でもない、私に課せられた、一生かかって解決することを課せられたわたしの任務であったのだ。
5: Fri Jan 4 18:48:47 2013
私は音楽を好んだ。ちょうどその虚しさに直面した頃から、音楽を好んだ。それは虚しさから目を背けるため、虚しさから逃げるためでもあったかもしれないが、もしかしたら音楽が虚しさそのものだったのかもしれない。私は家にいるときはほとんど常時ヘッドホンをしていた。眠るときもヘッドホンをして寝た。外出しているときは音楽を聴かなかったが、頭の中では何かしらの音楽がつねに流れていたような気がする。
6: Fri Jan 4 18:52:01 2013
私は文学を芸術だとは思えなかった。特に小説は芸術というにはあまりに汚く魅力に乏しかった。絵画は芸術だと認められた。そして音楽こそが芸術中の芸術であると思っていた。しかし、今では音楽を聴くことに魅力を感じなくなり、苦痛だと思うようにさえなってきた。それは音楽に飽きたのではなく、音楽の本質に気づき始めたから、芸術の本質に気づき始めたからではないだろうか。
7: Mon Feb 4 20:53:42 2013
カネがあると虚しさを忘れる。私もカネがはいるとしばらくは虚しさを忘れて、世の中を楽しむ。おそるおそる。カネがなくならないように細心の注意を払って。そしてカネがつきるとまた私は虚しさに直面することになる。
8: Tue Feb 26 10:21:40 2013
何もやる気がしない。驚きあきれるくらいに何もしたくない。食欲はあるが、うまいものを食いたい、などと思うことはない。腹がふくれればよい。不安定ではあるが眠れてもいる。性欲もある。これまた、最低限でよい。
9: Tue Feb 26 10:23:15 2013
よく考えてみれば、これはもう、物心ついた頃から、子供の頃からずっとだった。私は何もやる気がしない。一生懸命何かをするとか、人と競い合うということが嫌いだった。将来の夢もなかった。世の中は退屈で生きることは義務でしかなかった。早く時が流れて人生が終わって欲しいといつもぼんやり思っていた。
10: Tue Feb 26 10:46:51 2013
この生き方、一見無気力でどうしようもない人間のような生き方は、実は私が意図して、ポリシーとして実行している生き方なのである。私だっておいしいものがおいしいとわからないわけではない。だが、だからといってそれをおいしいおいしい、うまいうまいと言って夢中になることはカッコ悪くあさましいという気持ちがある。だから、メシなんざ腹がふくれりゃいいのさ、という態度をとっている。
11: Tue Feb 26 10:47:40 2013
一生懸命いきたりしないのも、それが自分がより贅沢に暮らしたいということをめざすのなら、美食を求めるのと同じようなことでみっともなくあさましいと思う。
12: Tue Feb 26 10:50:29 2013
と、カッコよく言ってみたが、私の無気力はそんな生易しいものではなく、生きていくのに最低限必要な気力をも下回っている。
13: Mon Mar 25 14:38:03 2013
虚しくてどうしようもないときにはどうしたらいいだろうか?多くの人はそういうことがないように、あるいはそういうことに耐え切れず、何かをする。仕事、学業がまずある。だがそれだけでは一人の人生をすべて満たすことはできない。仕事や学校が終わった後、休みの日などに人はまた虚無に直面することになる。それを逃れるために、あるいは忘れるために人は趣味を持つ。
14: Mon Mar 25 14:39:48 2013
私には趣味がない。スポーツ、音楽、読書などを少しはかじり、時々はそれらが素晴らしいなと思うこともあるが、私はこれが好きですとか、これをしていると何もかも忘れるとか、これだけは誰にも負けないとか、ちょっとしたものだというものはない。
15: Mon Mar 25 14:42:22 2013
時間があって、健康で、自由であるときに、人は何をすべきなのだろうか。時間がなかったり人手が足りなかったりすることはよくあるが、そんなときにもどこかで暇をもてあまし虚無に押しつぶされそうになっている人がいるのだ。
16: Sat May 4 21:50:15 2013
私には趣味がない。「休みの日は何してるの?」と聞かれると困る。かといって仕事人間なわけではない。仕事中はずっと、早く終わらないかなと思っているし、週末が待ち遠しくて仕方がないし、日曜の夜は憂鬱になる。でも、趣味はない。テレビ、音楽、スポーツ、映画など、もちろんまったく何もやらないわけではないが、どれをとっても趣味だといえるほど熱中したり練習したりしているものはない。
17: Sat May 4 21:51:41 2013
たとえばギターを買って曲を作って宅録したことがある。丹沢へひとりで行って朝から晩まで山を歩いたこともある。フルマラソンに挑戦するために練習して何度か走ったこともある。苦手な水泳を練習しようとプールに通ったこともある。沖縄旅行を何度かしたこともある。でも、今はそれらすべてから遠ざかっている。
18: Sat May 4 21:52:44 2013
パソコンを自作してみたり、プログラミングに興味を持ったり、いろんなOSをインストールしてみたりしたこともある。ゲームはあまり好きではないが、時々ひとつのゲームに夢中になってしまうことがある。でもそれも1ヶ月もすればすっかり飽きてしまう。
19: Sat May 4 21:54:12 2013
本を読むのは楽しみのためではなく、あまり無教養なのも恥ずかしいし、人々がさかんにほめたりその人の発言を引用したりするような人の本は読んでおかなければならないだろうと、イヤイヤ読んでいるだけである。だから読書ももちろん趣味ではない。
20: Sat May 4 21:54:40 2013
酒は毎日飲んでいるが、酒を飲むことは趣味とはいえないだろう。これは悪い習慣である。
21: Sat May 4 21:57:23 2013
私は家にいるとき、そして最近はほとんど外へ出ることがないのだが、ずっとパソコンの前にいる。今もパソコンの前に座って、Chromeの画面でこの文章を打鍵している。こうやって誰に読ませるわけでもない文章を書くことは好きで、もしかしたらこれが趣味と言えるかもしれない。でも、人に説明するのは難しい。
22: Sat May 4 21:58:59 2013
パソコンの前にいてすることはたくさんある。文章を書くことはごく一部だ。youtubeで動画を見たり、ニコニコ生放送でどこの誰だか知らない人の雑談を聞いたり、ニュースを読んだり、googleで検索して何かを調べたりする。
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